鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―444―(根津美術館蔵)、西澗子曇賛長衣観音図(国清寺蔵)、伝牧谿筆白衣観音図(円覚寺『金光明経』に違駄天神と見られ、中国で護法神として定着し仏法や、僧、伽藍、さらに食物の守護神として信仰されてきた(注10)。『補陀洛迦山傳』に「旨祝釐潮音洞。見大士相好。彷彿在洞壁。次至善財洞。童子倏現。頂上端藹中。大士再現。寶冠瓔珞。館蔵)、伝月壺筆白衣観音図(MOA美術館蔵)、伝蕭月潭筆水月観音図(正木美術館蔵)、季潭宗[賛白衣観音図(プリンストン大学美術館蔵)、夢庵顕一賛白衣観音図蔵)、金渓良敏筆白衣観音図などが挙げられる。語録所載例と合わせて観音に月が描かれることはこの時期特筆すべき事項ではなく、普通に受け入れられていたと考えられる。月が描かれるものは、他に高麗仏画中の水月観音図、さらに西夏時代の安西楡林窟第2窟主室西壁門脇北側に描かれた水月観音図にも三日月が認められ、日本だけの組み合わせではないことがわかる(注7)。白衣観音図に月が描かれることについて、天庵妙受賛白衣観音図(水面に映る月が描かれる)の賛より、観音が衆生を救済するために観音が月や瀧に姿を変えて現れる応現を読みとることができる(注8)。さらに月は真如をあらわすもの、つまり月に悟りの姿を見、草木や一切の所行に仏性をみる真如観をあらわしたとも、菩薩の完全無欠な境地をあらわすためとも考えられる(注9)。円覚寺蔵白衣観音図は観音が水面に映る月を指さすが、これは「指月」をあらわしたものと考えられ、また観音図への賛は枚挙にいとまないが、「月」とさらに「白衣観音(大士)」と明記されている虎關師練、中巖圓月の賛などは禅林内での月と白衣観音の関連を考える際に興味深い。次にもう一つのモチーフ韋駄天について、韋駄天は元々はインドのスガンダ神で手執楊枝。碧玻璃碗。護法大神。衛翊其前久之。」とある護法大神は韋駄天と考えられる。日本では虎關師練の語録中に記述がみられ、さらに韋天像は厨房に安置されるなど、禅林内で重要な尊像であったことが無著道忠『禅林象器箋』より知られる。韋駄天モチーフが描かれた観音図としては、文献では南宋初期頃から存在していたという指摘があり(注11)、観音図に韋駄天が描かれたとはっきりわかる例は、多いとはいえないが横川景三の語録などに確認できる(注12)。作例としては伝月壺筆白衣観音図(岡山県立美術館蔵、絹本墨画)、春浦宗熙賛白衣観音図(真珠庵蔵、紙本墨画)(注13)、元代の水月観音図(奈良円生院蔵、絹本着色)、明の楊柳観音図(熊本大慈寺蔵、絹本着色)、14世紀明の慧明題白衣観音図(静嘉堂文庫美術館蔵、絹本着色)、宣徳17年(1432)の「書妙法蓮華経観世音菩薩普門品」の巻末の護法神としての韋駄天(注14)、台北故宮博物院蔵「観世音菩薩大陀羅尼経変相図」巻頭見返し絵に観音とともに描かれているものが挙げられる。

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