―36―〔図2〕。これは、金堂壁画において多用された極めて特色のある暈取りの手法で、他の重要古美術品の模写を完成させている。没年は明治28年(1895)頃と言われている。次に香雲による金堂壁画模写の特徴を挙げてみたい。まず模写の方法は、金堂内に足場を構えランプ等の燈火の下、あげ写しで模写を行ったと言われている。当時、壁画は積年の埃に覆われていただけでなく、元来金堂の内部に陽光は入らないため、わずかな燈火だけでは真の色彩を見ることはできなかっただろう。従って香雲模写では、色彩は全体に褐色がかり輪郭線に黒ずんだ赤が用いられている。最も賦彩部分の多い赤はほぼ褐色であり、緑は黒に近い青色、黄にいたってはごくわずか賦彩されているだけで、昭和時代の模写と比較すると、やはり色彩の面では劣っていると言わざるをえない。また大壁4面は壁面の傷や汚れまでも忠実に模写されているが、小壁については背景は省略され余白となっている。原寸大で図様を遺した学術的な模写としては最も古く貴重なものであり、単身で模写したその労力・気力は賞賛に値する。4.空如と香雲の模写について空如の模写は前述の通り、主要な構成線は香雲模写にならい、その上でごく細部にわたる描き込みや色彩の調整を図ったものとみられる。では、両者の間にどのような差異および改良点が見られるのか、5、6、7号壁面を取り上げて比較してみたい。まず5号壁は壁面の大きな損壊はみられないが、香雲は汚れや細かな傷を忠実に写しており、当時の壁面全体の状態を客観的に示している。一方、空如模写では壁の損壊部分や傷は無彩色を使って目立たせず、特に顔の傷や汚れはごく薄く描き、菩薩の表情をよく見せている。これは空如模写に共通する特色である。また大腿部の裳の襞にほどこされた朱隅の表現は精密で、薄物に透けて肉身が見える様子が鮮明であるの壁面でも丁寧に描きこんでおり、空如の優れた観察力と技量がうかがわれる。7号壁は八面の小壁のうち最も状態が悪く、香雲模写では両腕の輪郭線はとぎれとぎれで影のように見えるにすぎないが、空如模写では右手の第1、3、4指が確認できる〔図3〕。同様に左腕の描線も鮮明で、長い蓮華の茎を持つ左手指の形が描かれている。壁の損壊状態は両模写ともほぼ同じだが、大正5年(1916)撮影の写真を見ると、腰裳部分の損壊はかなり拡がっており、空如模写以降に状態が悪化したことが予想される。6号壁は大壁の中でも傑出した壁画で、香雲、空如ともに構成線、壁の状態等ごく細部まで描いている。空如模写で特に目をひくのが、下部の化生菩薩の緻密さである。
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