*釈迦堂縁起絵巻の研究―451――仏伝図としての視点を中心に―研 究 者:東京都江戸東京博物館 主事・学芸員 畑 麗1、仏伝図としての釈迦堂縁起の概要と問題提起釈迦堂清涼寺に所蔵される釈迦堂縁起絵巻(以下釈迦堂縁起と略称する)は、三国伝来といわれる異国的な本尊釈迦如来の由来を描いた6巻の絵巻である。制作期は奥書に「今至永正十二」とあることから、永正十二年(1515)前後とされており、詞書については、『考古画譜』に「青蓮院尊応法親王」とある。また絵は、『遠碧軒記』に「嵯峨清涼時五巻縁起は、古法眼が七年かかりて精を出したる極彩色のなり、見事なるもの也」という記述から狩野元信とされる。詞書は青蓮院尊応の没年が永正十一年(1514)であることを根拠に現在は否定されているが、絵の作者については元信の奥書があるサントリー美術館蔵の「酒呑童子絵巻」との類似から、元信の様式確立期の作品として着目されている。これまで釈迦堂縁起については、同時代の大和絵よりも彩色法や描法が高階隆兼系の石山寺縁起などに近いことや(注1)その斜線構図が辺角の景と呼ばれる中国画の構図の特長をもつことが指摘されてきた(注2)。しかし釈迦堂縁起の第一・第二卷が仏伝であることは、真保亨氏の『仏伝図』(注3)や百橋明穂氏の『仏伝図』(注4)で紹介されているにもかかわらず、釈迦堂縁起の研究の場で正面から論じられたことはない。同縁起の仏伝図部分は全体の五分の二を占め、その特長は縁起の性格に色濃く反映している。つまり百橋氏は釈迦堂縁起と中国明代の作とされる鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵の「釈迦八相図」(以下黎明館本と略称)との近似を指摘されたが、それが具体的にどのようなものであるかを検討した。この方法は既に亀井若菜氏が『鹿島美術研究』(年報13号別冊)で試みられているが、筆者は新たに仏伝としての釈迦堂縁起と黎明館本とを結ぶものとして、中国明代の版本「釈氏源流」を取り上げることで、釈迦堂縁起における元信の「漢」の要素を抽出し、それが如何に「和」の要素と融和したかを考える。また同時に絵因果経以来の仏伝の伝統的構図法と釈迦堂縁起の構図法を比較し、斜線構図、辺角的構図が本来釈迦堂縁起に特徴的な要素であるか否かを問いたい。尚、本論は2005年9月末に鹿島美術財団に提出した研究計画に基づくもので、企画書中に「釈氏源流」との関連を指摘した。助成決定後2006年5月28日美術史学会全国
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