鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―452―大会において、土谷真紀氏が「仏伝と本尊縁起の邂逅―釈迦堂縁起絵巻第一・二巻を基点に―」と題する口頭発表で、釈迦堂縁起絵巻と「釈氏源流」(憲宗本)との関連を指摘されたが、研究計画書中にある氏の口頭発表以前に知り得た知見についてはそのまま記すこととした。後に詳述するが、筆者は釈迦堂縁起の図様の源泉は後版で縦長画面に改変された憲宗本より、図様のオリジナル洪煕版に最も近く絵巻と同じ横長画面の正統版であると考える。2、「釈氏源流」の諸本と日本における伝来では「釈氏源流」とは、どのようなものなのだろうか。芝増上寺に所蔵される「釈氏源流」の正統元年版上巻の跋文には「)洪熙元年歳在乙巳秋七月解制日四明釈 寶成誌 聚寶門来賓楼姜家印行」(略)「大明永楽二十年歳次壬寅検閲抄寫編集命善人顧道珎書王恭画喩景(刊 又於宣徳九年十月命廬陵王栄顕重刊正統元年歳在丙辰孟冬十月吉日堅密室沙門釈寶成題」〔図1〕とあって「釈氏源流」の初版は永楽20年(1422)に編集され、顧道珎が書を王恭が画を担当し、喩景(が刊行し洪熙元年(1425)の寶成の年記をもつ、また廬陵王栄顕によって宣徳9年(1434)再刊を命じられたものは、正統元年(1436)の寶成の題があることがわかる。増上寺本に関して言えば上図下文で上下2巻4冊本であり、上巻は冒頭の9話を欠く197話、下巻は202話である。また先行する洪熙版に関しては、『中国古代木刻画選集』(注5)に永楽年間刻本として増上寺本と同様の図が一図紹介されており、構図は一致すると思われるが所在は不明である。その内容は上巻が仏伝で下巻がインド中央アジアをへて仏教が中国に伝来する様子をかき、まさに仏教の三国伝来を示すものである。因みに増上寺本は慶長元年(1596)に源誉存応に贈呈されたものであり、奥書には「今此疏寄付之志趣者 為興隆仏法三国伝来無相之旨兼又 拙僧灌請楽期十念御廻向也 慶長元年丙申十二月十五日 證蓮社忍誉助信 増上寺源誉上人」としるされており、この本が仏法の三国伝来を表していることが意識されている〔図2〕。寄進者の忍誉助信については不明だが、江戸初期にこの本の希少性は既に認識されており、正保3年に業誉還無により写本が作られ増上寺に現存する。なお、黄河『明代彩絵全図 釈迦如来応化事迹』の後書きには、鄭振鐸の蔵書の中に増上寺本と同一の跋文をもつ「釈氏源流」があり、中国でも貴重な初版に近い版であることがわかる(注6)。次に『中国古代木刻画選集』には景泰版が掲載されるが、この版は左に図右に文の縦長の形式である。さらに成化22年(1486)土谷真紀氏が図様を比較された憲宗本が

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