―453―重刊された。これは北京図書館蔵で図は400『中国古代版画叢刊2編』に所載されている(注7)。また嘉靖35年(1556)に刊行された洪熙元年版および正統元年版に基づく上図下文の400図の本があるが、いくつかの図が省かれ前述した跋文の後半3行が除かれたため、初版と正統版の作られた経緯がわからなくなっている(注8)。時代が下って、乾隆年間に鎮国公永珊が明刻本の『釈氏源流』を入手して「釈迦如来応化事跡」と改題し嘉慶13年(1808)和硬豫親王裕豊が刊行。これには同治8年(1870)の後版があり、嘉慶版は大谷大学に、同治版は龍谷大学にそれぞれ所蔵されている。また天理図書館には朝鮮版も現存するし、日本においては正保5年(1643)に絵のない文のみの和刻本がでている。このようにみていくと「釈氏源流」は、洪熙元年(1425)から400年以上にわたり何度も版を重ね、中国ばかりでなく朝鮮・日本にも影響を与えた仏教説話集であることがわかる。3、黎明本と「釈氏源流」釈迦堂縁起三者の関係さて早く黎明館本と「釈氏源流」諸本との関係を指摘されたのは、河原由雄氏である。1984年奈良国立博物館「ブッタ釈尊 その生涯と造形」の黎明館本の解説において河原氏は「広翰な仏伝事跡をおさめる絵入り本との影響関係が思案されよう。時代は下がるが清の乾隆58年に開版された挿絵版本『釈迦如来応化事跡』には全部で200数段の仏伝を載せており、また本図をおさめる十数段と構図をまったく等しくするものがあって注目される」として『釈迦如来応化事跡』と黎明館本との近似を紹介された。だが『釈迦如来応化事跡』の序にはこれが「釈氏源流」の改版であることが記されているので、図様の根元は洪熙元年(1425)まで遡ることができることをここに指摘する。ついで百橋氏は1984年『仏伝図』において、釈迦堂縁起について「仏伝図の部分は全くの中国の風俗で表され、先述の明の仏伝図(黎明館本)のような原本を手本としたものであろう」とされ、「しかもこの種の仏伝図はかなり流布していたと考えられる。絵入り版本の仏伝図にこれらと同様の図柄の伝承が指摘されており、壬生寺の仏伝図はまさにこのような図相を伝えていると思われる」とされた。つまり現状を整理すると、黎明館本は絵入り版本の仏伝図との影響関係が想定され、釈迦堂縁起は黎明館本のような明代の仏伝図を手本として成立した。壬生寺の仏伝図をも含めたこれらの仏伝図の図相は絵入り本との関連があるとみなされる。このよう
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