―454―な相関関係に立って「釈氏源流」と黎明館本と釈迦堂縁起との関係をみてみよう。比較は、日本に伝来し図様のオリジナルに近い増上寺本(正統版)を基本に増上寺本に欠ける上巻9までの部分を正統版の後刷りである嘉靖本で補う。三者の関係は、〔表1〕のように整理されるが、釈迦堂縁起と釈氏源流正統版の関係が顕著にわかるのは、1巻2段の1場と2場である〔図3〕。釈迦堂縁起のテキストでは摩耶夫人が霊夢をみたあと、都率天の天子たちが語らい下生するとなっているが、その場面は描かれず霊夢のあとは夢の内容を浄飯王に伝えにいく摩耶夫人が描かれる。これは、元信がテキストによらず釈氏源流の上巻六の摩耶託夢の異時同図〔図4〕をそのまま取り入れたからである。次に着目されるのは四門出遊の場面である。釈迦堂縁起の1巻6段は老が釈氏源流の路逢老人〔図5〕〔図6〕、病が道見病臥〔図7〕〔図8〕、死が絽観死屍〔図9〕〔図10〕、比丘が得遇沙門〔図11〕〔図12〕に対応するが、興味深いのは、老の老人〔図13〕が黎明館本の老人〔図14〕に非常に近いことである。同じ釈氏源流の路逢老人を図の典拠とするとはいえ、この類似は釈迦堂縁起の制作過程において、黎明館本そのものでなくても釈氏源流に基づく何らかの中国絵画を元信が見ていたと想像せざるをえない。また釈迦堂縁起が後版の憲宗本でなく、横長画面の正統版によっていることが明らかなのは4段1場三魔女〔図15〕と釈氏源流上巻46魔女[媚〔図16〕の比較である。憲宗本〔図17〕では省かれている釈迦の上の樹木を元信は書き込んでいるからである。他にも2巻2段の出胎と釈氏源流上巻7樹下誕生、3段1場牧女乳糜、2場吉祥献草と釈氏源流上巻37牧女乳糜、38天人献草、4段2場降魔と釈氏源流上巻47魔軍拒戦の図様の類似は、単に同じ仏伝を主題とするというだけでない両者の深い関わりを示す。それは増上寺本の奥書に仏法興隆三国伝来とあるように、釈氏源流のテキストが三国伝来の釈迦像の縁起に合致する内容をもっていたことによる。そしてこのことは釈迦堂縁起の図様が室町期の日本化した仏伝図と異なり、釈氏源流を祖本とすることによって黎明館本を含む汎アジア的仏伝図の系譜に連なる作品であることを物語るものである。4、釈迦堂縁起の制作背景では釈迦堂縁起が制作されたのは、清凉寺にとってどのような時期であったのだろ
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