―37―如来の蓮華座を支える花葉形の下方には、蓮の蕾の中に化生菩薩が一体、また中央の開いた花の中にも一体が描かれている。その下のやや大きめの二体、特に向かって右の化生菩薩は、顔の表情、肩にかかる天衣や腰裳、蓮華座の一部まで図像・色彩ともにはっきりと確認することができる〔図4〕。また、左脇侍の観音菩薩の足にかかる裳の朱隅も緻密であり、腰につけた天衣の模様も黄が多くほどこされ、多彩な表現がなされている〔図5〕。空如の場合は、足場も照明設備もなく堂内に射し込む自然光を頼りに模写したと考えられるので、視覚の届く壁画の下部に修正、加筆が集中しているのは仕方がないだろう。それでも、日を追って拡がる壁面の損傷、褪色などの経過を把握できる記録として、その希少性は他に類をみない。5.その他資料と空如模写について次に空如の活動時期と近いその他関係資料と照合し、空如模写の特徴を見ていきたい。参考としたのは、大正5年(1916)撮影の金堂壁画十二面の白黒写真(撮影者・田中松太郎)と、昭和10年(1935)文部省が撮影(京都・便利堂)した写真である。1号壁は、上部が大分黒ずんでいるが全体に色鮮やかである。脇侍菩薩の尊名は明らかにできていないが、右脇侍は左手に蓮華を持ち、右手は下げて小さな壺を持っている。そしてその壺は繊細な線のみで描かれ、透明な硝子製のように表されている。ところが空如は、壺を鮮やかな青で彩色し明確に描いていることに注目したい〔図6〕。菩薩の持物としての重要性を強調するため、このような表現をしたのだろう。空如の画題解釈は明らかでないが、薬王菩薩が薬草や薬壺を手にした姿で造像されることから薬王・薬上菩薩に比定する説もあり、そう想定していた可能性もある(注10)。9号壁は、大壁のうちで剥落が最も甚だしいが、主尊は弥勒仏とされ、六角の台座に結跏趺坐し、右手は挙げて施無畏印、左手は掌を上にして指を屈し膝前においている。空如模写ではその左手の描線が明確で、第2指を屈し、他はほぼ伸ばしているのが確認される。右脇侍菩薩の尊顔は目鼻が描かれ、両手の構成線も充実しており、左脇侍と同様に叉手合掌と思われる。さらに空如は、左脇侍菩薩の斜め下の神王の顔の前に、蛇形の頭を描いている。下図にはよりはっきりと神王の肩に巻きつく姿を描いており、空如はこの神王を竜王ととらえていたと予想される〔図7〕。10号壁は、主尊の左手に宝珠様の持物が確認されたことから、それを薬器とみなして薬師如来とされる。右脇侍の月光菩薩は左手を胸の前にあげて、右腕は下げているが、空如模写ではその手に神線についたリボンを取っている形がほぼ完全に描かれている。碗釧の形も認められる。また左脇侍の日光菩薩の右手部分は、いずれの写真で
元のページ ../index.html#47