鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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注朝日新聞社文化事業部主催、新宿三越8階催場、3月4日から7日まで 明治17年(1884)秋田県内で初めて結成された美術団体。会員は画家だけでなく美術愛好家も含み、年に大小4回の大会を開催、会員の作品を展示するとともに、参考品として自慢の絵画や工芸作品を持ち寄って展示するなど、その活動は広く注目を集めていた。■1966年(昭和41)7月鈴木良蔵に宛てた葉書。高橋堯 1904年−没年不明、秋田師範卒、小中■昭和8年(1933)2月24日鈴木良蔵宛書簡■『美術学校借用書』東京国立博物館資料、1895〜1897年■昭和8年(1933)12月18日鈴木良蔵宛書簡■高田良信「法隆寺金堂壁画史」『法隆寺再現壁画』朝日新聞社、1995年、94〜100頁■明治23年(1890)岡倉天心が東京美術学校講義中に、香雲は模写に二ヶ年余を費やして成った「草創期の逸話〔板谷波山の回顧談〕」『東京芸大学百年史 東京美術学校篇第1巻』、ぎょうせ薬王・薬上菩薩は薬をもって人々の身心両面の治病をする菩薩。薬草や薬壺を手にした形に造―39―末筆になりましたが、あらゆる資料をご提供下さり調査にご協力たまわった、ご遺族の鈴木アイ氏、故鈴木泰三氏に心から感謝申し上げます。学校教諭、校長、秋田県議会議員。と述べている。岡倉天心『日本美術史』平凡社、2001年、73〜74頁い、1987年、146頁像される。『岩波仏教辞典』岩波書店、1993年、803頁

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