.呂紀「四季花鳥図」(東京国立博物館)を中心とする明代花鳥画の研究―53―研 究 者:東京大学大学院 人文社会系研究科 博士課程 黄 立 芸はじめに明代花鳥画の展開を論じる際に、呂紀は非常に重要な存在である。呂紀、字は廷振、^(浙江省四明)の出身で、弘治期(1487〜1505)に活躍していた宮廷花鳥画家の一人である。その作品の特徴は「山水花鳥画」と呼ばれるように、浙派の水墨山水を背景に彩色の花鳥を配した安定した空間構成をとる点にあり、弟子もしくは追随者による作品が多く、その後の花鳥画の規範の一つとなった。その作品は日本にも古くから多く将来され、なかでも島津家伝来、東京国立博物館が所蔵する「四季花鳥図」四幅(重要文化財、絹本着色、各176.0×100.8センチ)はその代表作である。この「四季花鳥図」は質の高さだけでなく、四連幅として四季が揃う点が現存作品としては珍しく、中国唐代以来の四季花鳥図の伝統を継承した明代前期の貴重な作例である。従来、呂紀とその作品に関する研究については、明代院体画や浙派の観点から捉えるか、または図像学的な観点から各々の花鳥モチーフがもつ意味を分析、解釈するものが中心であった(注1)。しかし、本作品そのものに対する詳しい研究はまだなされていない。本報告はこの四幅を中心に、まず呂紀に関する文献資料を再検討し、そして宋元また明代絵画の伝統を踏まえて、その山水表現と構成上の特徴を考察する。最後に季節表現の観点から、その花鳥モチーフの選択の仕方や、図様とモチーフの組み合わせ方の解明を試みた。一、呂紀に関する文献資料の再検討呂紀に関しては、『明実録』の他、『^縣志』(光緒3年刊本、1877)に詳細な伝記(注2)が収められており、引用例も多く、研究の基礎をなしている。しかし、これらはそれ以前の文献を集めて再構成したものであり、編纂を行うときに内容の改変や短縮が行われた可能性に留意しなければならない。これらの文献の内容と成立年代を検討すれば、李堂(1462〜1524)の「郷先生遺事」(『G山文集』、嘉靖年間刊本)と『寧波府志』(嘉靖39年刊本、1560)が、のちの光緒3年本の『^縣志』だけでなく、その他の画史や地方志編纂の基礎史料となっていたことが確認できる。特に前者は、その整然とした記述のしかたと内容が後世の手本となったもので、またほかの文献には見当たらない興味深い内容も含まれており、注目される。
元のページ ../index.html#63