―58―「冬幅」では、片方に寄せられた岩石と一本の横に伸びる梅、さらにその後ろには赤「夏幅」にみられる梔子、蜀葵、萱草は夏の植物である。前述した太湖石の描きかただけでなく、蜀葵と萱草の組み合わせからみて、南宋・伝毛益「蜀葵遊猫図」〔図13〕からの影響がうかがわれる。鴨と四十雀は夏に限定される鳥ではなく、むしろ水禽と小型の飛禽の典型例としていろいろな植物と組み合わされ、四季を問わず広く使われている。それに対して、黄鶯は「仲春の月、倉庚鳴き」(『礼記』「月令第六」)とあるように、古くから春から夏への移り変わりを示す鳥とされている。夏の鳥として描かれる例としては、元代・羅稚川による夏景の小景画があげられる(劉仁本『羽庭集』巻4「題羅稚川小景画 四首」)。呂紀の「夏幅」もこの伝統を継承したものといえる。「秋幅」における花鳥のモチーフとその組み合わせ方について、芙蓉の図様は南宋・李迪「紅白芙蓉図」(東京国立博物館)〔図14〕を思わせるが、芙蓉と菊の花という組み合わせについては、伝蘇漢臣「秋庭戯嬰図」を継承したものと考えられる。鳥類の選択については、「仲秋の月、鴻雁来たり」(『礼記』「月令第六」)とあるように、雁や鴨類の渡り鳥は古来、秋の象徴とされている。赤筑紫鴨はユーラシア大陸中部から中国で越冬するために飛来する鳥で、秋冬の鳥として北宋・梁師閔「蘆汀密雪図巻」(北京・故宮博物院)〔図15〕と北宋・伝趙令穰「秋塘図」(大和文華館)に描かれている。呂紀「秋幅」もこの伝統に基づいたものであろう。一方、九官鳥は古来、人の鳴きまねが上手で知られており、白い寿帯鳥は祥瑞の象徴であるが、季節との関連は不明である。梅と椿を組み合わせて冬を表す作例として、「冬日戯嬰図」があげられる。呂紀のい椿が描かれている。現存する呂紀、あるいは明代の大幅着色花鳥画において、番の雉を主題とする冬景花鳥図は数多く残されており、一つのパターンとして確立していたことがわかる。それらはいずれも雉が水辺の岩石の上にとまり、背景に梅と椿が配され、雀や白頭翁などの小飛禽がその上にとまっているものである。呂紀を学んだ殷弘の「花鳥図」(キンベル美術館)〔図16〕はその代表的な例である。雉と冬との関連については、『礼記』「月令第六」に「孟冬の月、雉大水に入り蜃と為る」、また「季冬の月、雉Kき」とあり、絵画化の例としては『宣和画譜』巻15の、于錫が描いた「雪梅双雉図」に対する「雉、野禽。故に雪梅を作り」という記述が挙げられる。これによって「雪梅双雉」は冬景花鳥のパターンとして北宋から明代に継承されていたことがわかる。
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