注呂紀について、主に以下の論文があげられる。 清・張恕修、董沛等簒『^縣志』(光緒3年刊本、1877)、巻45、10b〜11a頁。原文は以下の通■『明人伝記資料索引』国立中央図書館、1965−1966年、211頁。■李堂『G山文集』(嘉靖年間刊本)、巻3、23頁。「題家蔵五鶴図歌」。―59―鈴木敬『明代絵画史研究 浙派』木耳社、1968年、194〜196頁。鈴木敬『中国絵画史 下』吉川弘文館、1995年、91〜93頁。譚怡令「呂紀花鳥画及院蔵其派作品之探討」『呂紀花鳥画特展』国立故宮博物院、1995年、112〜127頁。単国強「林良、呂紀生平考略」『故宮博物院院刊』1997−1、3〜6頁。Sung, Hou-mei. “Lu Chi and His Pheasant Painting,”『故宮学術季刊』10−4, 1993年, pp.1−22.Barnhart, Richard M. Painters of the Great Ming: Imperial Court and the Zhe School, Dallas, Texas:Dallas Museum of Art, 1993, pp. 205−221. りで、[]内は割注。「呂紀、字廷振、号楽愚[嘉靖志]。風神清雅、留心藻絵、或綴以詩[李堂書郷先生遺事]。初學辺景昭花鳥、袁忠徹見之、謂出景昭上、館於家、使臨唐宋以來名画、遂入妙品、独j當代。嘗戯画雌I壁間、而生雄繞其側弗去[嘉靖志]。宏治初、L至京、待詔武英殿[聞志]、応例入御用監、益造精詣[名山蔵]、兼集M長[芸苑卮言]、尤工N毛[名山蔵]、如鳳鶴孔翠鴛鴦之類、O有法度、生氣奕奕[卮言]、Q作山水人物[遺事]、設色久而不変[聞志]。其泉石坡景、點染煙瀾、有造化之妙。時孝宗以遊芸適情、寵賚優渥、由伝奉陞至錦衣衛指揮[遺事。案、兩浙名賢%作指揮同知]。為人謹禮法、敦信義、P紳多重之。其在画苑、凡應詔承制、多立意進規。孝宗稱之曰、工執芸事以諫、呂紀有焉[嘉靖志。案、聞志、武宗居東宮時、孝宗謂曰、呂紀之画、妙奪化機、如英明聴諫、萬年清潔等図、極関治体、足為伝世之宝。工執芸事以諫、呂紀有焉]。臥病、存問絡繹、卒無子。人尤惜之[遺事]。從子高、字崇岳、号松石翁、寫N毛能継之。棠、字)芳、号竹村、工N毛花卉[案、聞志作花石]、佳者酷肖紀。#意作亦雋雅云[明州画史]。」「所貴写生生意新、区区色相非奪真。而況胎仙邁凡骨、風孤韻遠方入神。呂君廷振稱画史、洒洒S標超俗塵。孝廟玉音褒芸諫、適情放筆O動人。翔翔我昔R南都、贈我翩翩五鶴図。立石伴結び以上、文献と作品を検討し、呂紀の早い段階の制作活動と「四季花鳥図」における山水、花鳥表現について考察してみた。紙幅の都合から詳しい考察は別稿に譲るが、文献に見られる呂紀の唐宋絵画学習とは、彼が伝統に基づいて、季節にあった花鳥を選択し、組み合わせたことを指すと考えられる。また、「四季花鳥図」の山水表現は北宋以来の小景画系と孫君沢などを通じた南宋院体画風を継承したものである一方、同時代の明代宮廷絵画の特徴も取り入れており、新旧の様式を折衷し、一つの画面に併存させる特質を有しており、呂紀、あるいは16世紀初めの明代花鳥画の達成点を示す重要な作品として位置づけられよう。
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