鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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0福島秀子と田中敦子の絵画―73―研 究 者:一橋大学大学院 言語社会研究科 博士課程後期  中 嶋   泉0.はじめに―二人の作家と戦後抽象絵画戦後1950年代、日本では次々と女性作家が表れたが、福島秀子(1927−1997)と田中敦子(1930−2005)は、なかでもとりわけ注目された作家だった。二人はそれぞれ「実験工房」と「具体美術協会」という前衛美術グループに属し、立体、パフォーマンス、舞台など様々な芸術活動にたずさわるが、最終的には抽象絵画の制作に集中する。二人をさらに関連づけるのは、彼女たちがともに1957年に来日したフランスの批評家ミシェル・タピエに見いだされ、「アンフォルメル」や「抽象表現主義」と呼ばれる戦後世界各地で同時展開した抽象絵画運動へ関わった点である。これ以後二人は1950年代末から1960年代初頭にかけて、「世界・現代芸術」展、「新しい絵画世界―アンフォルメルと具体」展等の国内で開催された国際展から、イタリアの「プレミオ・リソーネ」国際絵画展、スイスの「日本現代絵画」展といった数々の国外での国際展をともにし、当時抽象絵画の代表的な作家として認識されていた(注1)。しかしながら現在、戦後の日本人女性作家としては草間彌生の研究が例外的に進む一方で、同時代の福島や田中に関する研究は十分だとは言えない。二人はおもに実験工房や具体の文脈で言及されるに留まり、個別に考察される例が殆どないのが現状である。この二人の作品を併せて考察することによって、1950年代の絵画運動の別の側面に光を当て、日本の現代美術における前フェミニズム期の女性の創造というこれまでほとんど注目されなかった主題にも触れることが本研究が最終的に目指す地点である。本稿の目的は、福島秀子と田中敦子の絵画を実験工房や具体の活動と差異化し、戦後抽象絵画という枠組みを通じてその作品を検証することにある。その際、後述するように、戦後抽象絵画の一般主題であった「自己」の確認が二人の作品を通じてどのような特徴を表わしているかを考察する。1.戦後日本と抽象絵画、女性作家、国際展1950年代前半の日本の美術界では、いかにヨーロッパモダニズムの模倣と、還元主義的な伝統復帰の両方を避けて日本固有美術の「世界性」を実現するかという議論が前景化していた。そもそもこの議論では、日本の敗戦後の民主化が欧米からの「お仕着せ」であるという意識と、西洋近代主義という「借り物」の美術言語に同化するこ

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