―76―していた(注8)。このグループの最大の特徴は音楽と造形芸術のコラボレーションだったが、彼らと福島との間にある差異は、それぞれにとっての音楽と造形の関係に表れているように思われる。北代や山口らは日頃からモホリ=ナギ・ラースローの芸術理論を研究し、バウハウス的総合芸術を実現する場としての造形と音楽の理論的横断の可能性を模索していた。たとえば、彼らにとってパウル・クレーの絵画にみられる音楽理論の即物的で「メカニックな」な翻訳は共感できるものだった(注9)。他方、福島の絵画も音楽に喩えて批評されることが多く、自らもしばしば音楽を着想源として語っている(注10)。だが、福島自身が自分の制作活動を「律動」や「音響」といった言葉で記述するとき、それは北代や山口が惹かれていたであろう音楽のシステマティックな規則性というよりも、より身体的な感覚に貫かれていることが次のような言葉からうかがえる。或る種の音楽の様に、音の純粋なエネルギー、音の血液を感じさせ、音と音との結びつきから、新しい宇宙・別な次元における生命力を感じさせる音楽、それは、予言者の呪文めいた調子で、私たちが忘れていた生命であるところのエネルギーを感じさせるのです(注11)。高くあがった波が、水泡が、落ちる前に空中にささえられた一瞬の停止に落ち砕けてゆく律動的な繰り返しに生の動きを感じます。そうしたことは私をして、自然と不分離の、更に新しいひとつの事実―作品―へとむかわせます。(注12)福島にとっての「音楽」とは、身体的なリズムに呼応するものであり、また、自己の外部(自然)と自分を結びつけるものであるようだ。しかし、自然との身体的な一体化は、伝統的に「女性的な感覚」として理解されてきた。そのため上記のような所感は、「女性=自然」対「男性=文化・秩序」という構図に回収されやすい。実験工房で男性作家と(一見)対等に共同作業をしていた福島さえもこの構図から免れなかったことは、福島の作品に対する「20才代の女性の呼吸を、体臭をその作品に感じさせてくれた」(注13)としたような批評家の言葉にも明らかだ。1957年のタピエとの出会いがこの作家にとって重要な意味をもっているのは、タピエの「アンフォルメル」という枠組みでは、性別やそれに付随する芸術と女性の関係をめぐる固定的な諸概念が全く評価の参照軸にならなかった点にある(注14)。タピエの唱導する普遍的な抽象言語としてのアンフォルメル絵画は、身体性を旧来の「女
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