鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―77―性性」から切り離し、この女性作家と抽象画に別の関係を導きだす言語を福島に与えたのではないだろうか。描く自己の探索1950年代末の福島の絵画には異なる技法が混在している。たとえば、1959年の《作品5》ではまず、濃度の高いチタニウムホワイトで全体が覆われた画面に、異なる様々な筆跡が残されている。まず濁った赤、緑、水色など色味のある絵具が、極めて淡く、水彩のような薄い透明感で黄味がかった表面を大振りの緩急のある筆致を散らしている。部分的に薄い墨色の短い筆跡が軽く画面にたたきつけられ、羽毛のような模様をつくっている〔図5〕。そのうえに、画面の左上、中央上部、右下に、「円」がグループを形成するように「捺されて」いる。結果として生じる円形には墨の濃淡が不規則に現れ、非画一的な印象を強めている〔図6〕。絵画はそこでは終わらず、さらに二種類の働きかけがある。一つはこの絵画の全体的な印象を支配しているのは、茶、モスグリーン、青みのある灰色の薄い絵具が、表面をつたって下に流れていく様子である。これらの色彩は画面の各部分を横切るように浅く措かれ、ときには飛沫を散らせ、その下にある円や色彩を垣間みせながら絵画全体を覆っている。こうした濃淡の微妙な画面は最後に再び透明度の低い黒の太い筆跡で部分的にかき消されている〔図7〕。福島の絵画の画面がこのように複雑化する傾向は、彼女が国際展に参加するようになった後の出来事だということは指摘できる。ジャン・フォートリエ風の材質感を持つ砂をまぜた白色顔料や、ジョアン・ミッチェルの1950年代の作品にみられたたらしこみなど、福島のこの時期の作品には、展覧会で目撃したであろう抽象絵画上の技法が引用されている可能性は高い。しかしながら、最画面全体の最終的な印象は、各要素が互いに消去し合う様子に支配され、その矛盾する視覚効果は場合によっては観る者をいらだたせるものだった(注15)。事実、福島はこの時期の絵画制作について「描きながら、描いたのをこわしていく質」であり、その行為自体が肝要であることを強調している(注16)。福島は、来日したタピエにとって具体の作家以外でほぼ唯一、彼の理論的課題に適う個人だった。タピエの提唱した「アンフォルメル」がいかなるスタイルの提示でもなく、過去の芸術への「強烈な否定の精神によって白紙に還元し、未知の領域に踏み込もうとする姿勢」であったのと同様、福島の作品の非決定的な画面構成は、タピエが「別の美学」で力説した「否定」の美学に呼応しているように思われる。しかしこの「否定」は一部では男性的なヒロイズムに通じるものでもあった。たとえば、ポロ

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