―78―「女性性」という閉鎖的な解釈に結びつけられてしまう。福島の絵画はこの問題へのックや具体の一部の男性作家にとって、身体の攻撃的な行為とその痕跡としての絵画は、過去の芸術に対する決別の宣言である同時に、男性的なヒロイズムに彩られた自己を象徴するものであり、身体性は絶対的に肯定されるものであった。ところが、上述したように、女性作家が創作行為に自身の身体を介在させようとすると、容易に取り組みとして解釈できるのではないか。《作品》は一つの法則に支配されておらず、矛盾するいくつもの要素がアンビバレントな関係を保っている。のびのびとした筆致の下には、身体的動きを最小限に抑制する「円」が捺され、たたきつけられた緊張感のある筆跡の上には、作家の意志にかかわらず重力の作用を受けて下に流れる絵具の線がかぶる。福島の「円」は、「描く」ということに対する彼女の疑問と、「円を完全なものにしようとすればするほど、描くことになってしまうし、一気に描けば感情が出てしまう」ことから考案された(注17)。言い換えると、円は絵具を介して自己を表わすこととは別の描き方のモデルであり、後の作品にみられる相互的な消去の作用は、この考察の延長上にあると言える。福島の絵画における画家の身体は常に、描くこととその否定の間に留められている。このような観点からは、福島の絵画は、抽象絵画という領域で女性作家が身体的を重視して描くことにおける「矛盾」を象徴していると言えるだろう。それらは、女性の身体と男性的言語としての抽象絵の関係を弁証法的に媒介するものであり、絵画は自己を実現する場所ではなく、戦後の抽象絵画という自身のあり方を解釈するために繰り返される、実験の場として理解することができるだろう。3.田中敦子と物質の新しい関係田中敦子と具体田中敦子もまた、福島と同じように、グループの中心的な作家でありながら、異質な作家であることが指摘されてきた(注18)。田中の代表作である大小の「円」とそれをつなぎ合わせる無数の線で構成される絵画にはエナメル塗料が平坦に塗られ、作者の痕跡が最小限に留められている。他方、いわゆる具体の絵画とは一般的に、画家の身体と物質とのラディカルなぶつかりあいの痕跡(注19)として理解されている。田中と他の具体作家を隔てるのは明らかに、物質と身体の関係における相違であり、それは具体の中心活動が絵画に移行する以前から顕在化していた。第1回から第3回の「具体美術展」や「野外具体美術展」で行なわれたパフォーマンスをみると、新しい素材と作者の身体の直接的関係を重視する点は両者に共有されているが、そこでつ
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