―80―る素材感と色彩を持つ面で構成されるリズミカルな絵画面へと翻訳される。田中の最初期の絵画にインスピレーションを与えたこの暦の記号性と《作品(ベル)》や《電気服》の設計図〔図8〕の間には、「テンプレート」、つまり、あらかじめ定められた基盤としての共通性がみられる。このテンプレートは田中の制作活動の中で、身体を確認するための視覚的モデルとなっている。入院中の彼女にとって暦の日付は退院までの時間であり、体が治癒されていくという変化を視覚的に表わすものだったはずだ。日付の意味を持つ数字を囲む行為を経てできたものを「絵」としたならば、田中にとって「描く」という行為は、こうしたテンプレートの規則によって認識される変化を、描く自分の身体を通じて、キャンバスや紙といった物質上に再演することであると言えるだろう。周知のように、田中の絵画は《電気服》をキャンバスに解体・展開した《電気絵画》と、《電気服》と並行して制作された、配線図の素描から派生している。しかし最終的に描かれた円の絵画は、電球の配線図、設計素描の厳密な再現や《電気服》の単純な展開図ではなく、素描の段階でで行なわれた様々な試行錯誤の末にできあがっている。田中にとって素描は《作品(ベル)》の緻密な設計図や習作にもみられるように、単なる図案以上の意味を持っているように思われる。《電気服》の制作に並行して作成された素描では、水彩、インク、クレヨン、鉛筆などいくつもの画材や、変化にとんだ構図が試される、充実した作品群になっている。たとえば、一部のクレヨンや水性インクで描かれている素描〔図9〕は、配線図の言語により忠実で、配線はいくつも平行する直線で表わされている。他方、部分を拡大した図〔図10〕では、電球と配線は比較的自由に交差し、配線図の正確さよりも画面全体の構成に注意が向いている。電球の集合が円形上に集合した図〔図11〕ではその脇に電源の存在もみられ、会場に設置された《電気服》を上部からみた展開図であるように思われる。素描はテンプレートとしての《電気服》の設計図との折衝を繰り返しながら、絵画的イメージへと向かっていく。素描から絵画作品へ移行した際に取り入れられた合成エナメル樹脂塗料である〔図12〕。上述したように、田中の画面の特徴は他の具体作家が強調した絵の具の素材感ではなく、無機質なイメージとして経験される点、そこでは作者の痕跡が消去されている点にあるとされた(注23)。しかし、田中の描く行為、描く身体、描く自己は、外部の物質がもたらす別の論理に積極的に従うものである。素描の時点で配線図が絵画行為に作用したように、ここでは電球の材質感を示唆する塗料が、新たな変数として加算されている。エナメル塗料は電球の光を表現するというよりも、その艶やかな
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