鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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1クルト・シュヴィッタースのメルツ絵画におけるリズムの問題―86―――音楽にもとづく抽象美術論とメルツ絵画の空間構成――研 究 者:奈良芸術短期大学 専任講師  嶋 田 宏 司クルト・シュヴィッタース(Kurt Schwitters, 1887−1948)は、コラージュないしアッサンブラージュの技法で制作されたメルツ絵画(Merzbild)を抽象絵画であると言っている。彼は早くも1910年に抽象絵画の理論的著述に取りかかっており、その時には音楽を理想的な表現形式と見なして、絵画も対象の模倣を脱して純粋芸術に到達できるよう、楽理と比較した抽象絵画の理論的可能性を考察していた。その後、キュビスムや未来派の影響を受けて、急速に新しい造形言語を吸収し、アカデミックな自然主義から抽象絵画へと達することになる。そして、第一次大戦直後にはさまざまな廃品や拾得物による絵画の構図を試み、画面に挿入した印刷文字にちなんで独自の制作態度「メルツMerz」を宣言した。シュヴィッタースは、その後も音階と音色に対する色彩の対応を考えるなど、さらに音楽と絵画との比較対照を進めていた。シュヴィッタースが、音楽との比較において最終的に到達した考えは、メルツ作品は固有のリズムの完成を目指して制作されるということであった。彼の言うリズムとは、作品に導入する素材相互の形質の差異に生じる、緊張的な視覚運動をさす。抽象絵画はこのリズムを明快に表すという。メルツ作品の制作過程は、拾得したさまざまな材料を互いに見比べて吟味し、支持体の上に固定してゆくことが基本である。したがって、リズムが生じるように素材を固定するということは、素材の取り合わせと配置の過程で画面総体のリズムが編成されることであり、また素材の形態と大きさなども、そのときに決まることになる。シュヴィッタースのコラージュ作品(メルツ素描Merzzeichnung)では、絵具を塗ることが少なく、素材の選択から画面への貼付にいたる過程は表出に直結している。また、彼はつねづね絵画平面を空間としてとらえており、メルツ絵画において、物の生々しい有り様を訴えるために、素材の配置と直接関連した独自の空間表現を試みている。本研究では、まず音楽と抽象美術に関するシュヴィッタースの理論的な記述を整理して、彼が使うリズムという言葉の理解に努め、その後、技法の特徴がよくあらわれる初期のメルツ絵画およびメルツ素描作品を観察して、シュヴィッタースの個性的な空間表現とリズム表現について考察を加えた。

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