鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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2.京都の帝展工芸第8回帝展の京都の出品作では、陶芸には新旧双方の傾向が現れ、漆芸、染織では新人や、図案家から実制作者に転向した者が出品の中心を占め、従来の規範を超えるような作品が見られた。その後の京都からの出品作について、帝展を機に現れた傾向を「技術」、「アマチュアリズムと個人作家」、「新興分野の確立」、「用途」という点から探ってみる。⑴「技術」という課題「技術」という工芸特有の命題をいかに評価し、表現に取り入れるかは、帝展工芸が直面した課題の一つであった。陶芸では技術を主軸に据え、伝統技法を生かした表現や、新技法の開拓によって独創性を得ようとする傾向が見られた。清水正太郎(六代六兵衞)の、彫刻的要素を大胆に取り入れた作品〔図6〕は、彫塑的な技法に秀でた京焼の伝統を生かし、新たな表現を獲得しようとした一例であろう。楽焼の技法を受け継いだ陶家出身の浮田樂徳は、軟陶の楽焼とは対照的な構成派風の意匠と形態を取り入れ、伝統技法の新たな解釈を提示した〔図7〕。また、京都の陶芸家の間では競うように新技法の開発が行われていた。先述した森野嘉光は、それまでは陶管や瓦などの実用に供していた塩釉を、陶芸という芸術作品の釉薬として導入し〔図8〕、楠部彌弌も、彩色した磁土を盛り上げて文様を形作る「彩■」という施文法を開発している〔図9〕。⑵アマチュアリズムと個人作家― 95 ―作品は、オランダの貿易船を画面一杯に配したもので、船の全体像を表すと同時に、外壁を取り除いて内部を見せ、それらを卓抜な構図にまとめている。細部表現と構図の簡潔さのバランスを取った図案家ならでは絵作りの手腕を窺わせる〔図5〕。山鹿の独創性は、図案の清新さだけでなく、素材や技法に対する従来にない視点にあった。新聞に寄せた本人の言では、作品には太古から存在する単純な平織を使用しながら「織物組織の工夫よりも、表現の方法に重きを」(注21)置いたという。素材は、従来綴織に用いられた高価な絹糸を主にするのではなく、大部分に毛糸を用い、背景には主要物を引き立てるためぼかし染めにした麻糸、一番際立たせたい人物に光沢のある絹糸を使用し、表現対象によって自在に糸の種類を使い分けたという。ここには素材や技術よりも芸術表現が優先するというこれまでにない制作姿勢が見られる。その一方で、帝展では全体的に、明治期以来の技術偏重を戒め、アマチュアリズムを称揚する傾向にあった。その模範を示すように、大家二人が第8回帝展に自身の専

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