鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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1.2009年度助成― 1 ―① 郎世寧の「皇帝・皇后・皇妃・皇嬪」の肖像画について研 究 者:武蔵野美術大学 非常勤講師  王     凱はじめに郎世寧は康熙、雍正、乾隆の三帝に奉仕して、清朝時期の政治、軍事、文化、及び民族の関係、日常生活等を題材にした絵画を大量に創り出した。世界各地に現在残されている数百点の作品は、東西融合の画法で描いたものであった。郎世寧は清朝の画壇、即ち宮廷画院において極めて重要な地位を占めていた。雍正元年から乾隆31年まで、郎世寧の絵画活動は、宮廷内の資料に毎年詳細に記録されている。彼の油絵、水彩、水墨などで描かれた戦争の歴史を題材にした風景画などは、イタリア・バロックの画風と表現手法が用いられている。彼はその一生の中で清朝宮苑、行宮において皇帝のために、大量の人物画、風景画、山水画、花鳥画などを描いた。扇子に描いた絵も多い。また、中国にいた51年の間、大量の絵画制作の他に、多くの宮廷画家を育てた。清朝画院の如意館(注1)に在籍する全ての宮廷画家の中で、彼は首席画家を務めていた。その才能は特に乾隆皇帝に認められ、皇帝はほとんど個人的な嗜好で郎世寧に次々と絵を注文した。「乾隆皇帝朝服像」、「孝賢皇后朝服像」、「慧賢皇貴妃朝服像」などはその最たるものであり、これらは歴史上初めて描かれた、正式な正面朝服肖像画であった。彼の多くの作品は、その後300年の間に、ヨーロッパ、台湾等に散逸してしまった。郎世寧はなぜ正式な「朝服像」を描いたのだろうか。本論は「皇帝・皇后・皇妃・皇嬪」の肖像画についての問題を明らかにしていきたい。正式な「朝服像」清朝宮廷絵画は、皇帝の庇護の下で東西融合画法の画家を育てて、「新体絵画」の発展に重要な役目を果した。郎世寧は「東西融合」の代表的な画家として、多くの作品を制作した。その膨大な作品の中に、皇帝、皇后、皇妃、皇嬪の肖像画が多く残されている。それらの肖像画について、宮廷の内務府造辨処に『各作成活計清朝宮廷档案』〔図1〕という記録がある。大清帝国の第一代順治皇帝から末代宣統皇帝までの間は、皇帝の肖像画の数が最も多い。それらの絵画は、当時の「帝王妃嬪」の貴重なⅠ.「美術に関する調査研究の助成」研究報告

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