⑩1470年代フィレンツェ派の祈念画におけるフランドル絵画の影響1 ギルランダイオのブロッツィの壁画に見られる折衷主義フィレンツェ西郊8キロのサン・ドンニーノに、11世紀に創建され15世紀に再建された単廊式の教会堂サン・タンドレア・ア・ブロッツィがある。その入り口寄りの左壁に、高さ約4.4メートル、幅約3.2メートルに及ぶギルランダイオの上下二段の壁画がルネッサンス式の建築枠に納められている〔図1〕。上段の尖頭アーチ型のリュネットには《キリストの洗礼》、下段の擬古的なモールディングに囲まれた横長な壁面には玉座の聖母子を中心に、左に聖セバスチアヌス、右に聖ユリアヌスを配す《聖会話》〔図2〕が描かれている。しかし、この上下の画面には様式的な齟齬があるため、上段は構想のみをギルランダイオに帰して、弟のダヴィデや弟子のセバスティアーノ・マイナルディなど別の手を想定する説もある(注2)。― 102 ―序研 究 者:女子美術大学 非常勤講師 江 藤 匠この《聖会話》の構図は、テラスと風景を組み合わせたポライウォーロの1468年頃の《ポルトガル枢機卿の祭壇画》と似ており、このタイプのかなり早い作例であるといえる。脇侍に関しては、左の聖セバスチアヌスはポライウォーロの《アダム》〔図3〕の素描との、あるいはその右手で裾をたくし上げた姿勢は、カスターニョの《聖母被昇天》の脇侍、聖ミニアトゥス〔図4〕との類似性が指摘されている。さらに右側の聖ユリアヌスは、カスターニョの壁画《将軍ファリナータ・デリ・ウベルティ》〔図5〕の姿態から採られている(注3)。これらの人物像の直截的な引用は、ギルランダイオの帰納法的な折衷主義を、初期の作品から裏付けるものといえる(注4)。主題の選択については、上段の《キリストの洗礼》の図像は、ブロッツィがアルノ川右岸に位置し洪水の多いことと関係し、下段の《聖会話》の聖セバスチアヌスにつ1470年代前半のドメニコ・ギルランダイオの祈念画とフランドル絵画の関係については、オニッサンティ教会ヴェスプッチ礼拝堂の壁画《死せるキリスト》と《慈悲の聖母》の構図や人物の姿態に、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンのウフィツィ美術館蔵《哀悼》からの引用が認められている。そこで、ほぼ同時期に制作されたサン・タンドレア・ア・ブロッツィ教会の壁画《聖会話》にも、祈念画としてフランドル絵画からの影響が看取できるのではないかという仮説が本稿の趣旨である(注1)。―ギルランダイオの初期作ブロッツィの《聖会話》を中心に―
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