― 116 ―①市長肖像画参事会の頂点に位置する2名の市長職は、16世紀後半には少数の一族により独占されていたことが知られる(注11)。彼らは1年の任期の後、規定による2年の再選禁止期間を経て再び市長に就任することが慣習化しており、都合6名が市政を取り仕切っていた。ヘルドルプによる市長肖像画としては、在職年度中に市長服姿で描かれた3点が挙げられる(〔表1〕:7、14、26)。このうち最も早い年記を持つのは市長ヨハン・フォン・ライスキルヒェンの肖像であり、2年後にも、おそらく弟と推定される同家出身者の肖像画が成立していることから、この時期に同家と親しい交流があったことがうかがえる。この市長は、ネーデルラント出身の銅版画家クリスペイン・デ・パッセ一世(Crispijn de Passe, 1564−1637)のパトロンとしても知られる。歴史画を中心とするヘルドルプ作品の版画は、パッセによって1600年頃から多数出版されており、ライスキルヒェンを通じて両者が関係を持った可能性も考えられよう。マルクス・フォン・バイヴェグは、1595/96年度から4期にわたってライスキルヒェンと共に市長を務め、またライスキルヒェンの従兄弟に当たるヨハン・ハルデンラスは1584/85年度から1629/30年度にかけて13期にわたって市長を務めている。②ケルンの上流市民の肖像画紋章、年記、来歴から、同定が裏付けられる作品としては、エバーハルト・ヤーバッハ夫妻(〔表1〕:11・12)、アドリアン・ド・ブロイン夫妻(〔表1〕:18・25)、ぺーテル・フォン・ベルヒェム夫妻(〔表3〕:4と〔表1〕:24)、ヘルマン・フォン・ヴェーディヒ夫妻(〔表3〕:2・3)の4組の夫婦肖像画、エリザベス・フォン・シュタインロット(〔表3〕:7)とその娘エリザベス・フォン・クレプスの肖像画(〔表1〕:17)、銘文から特定できるフィリップ・ヤコブ・ガイルの肖像画(〔表1〕:28)がそれぞれ挙げられる(注12)。個人の同定の根拠が確実とはいえない〔表1〕の6、10も、紋章から、出身一族の同定を裏付けることができる。これらの人物は、いずれもケルンの都市貴族(Patrizier)と呼ばれる上流市民の家柄の出身者である。特に、ヤーバッハとフォン・ヴェーディヒは、描かれた時期に参事会員を務めており、毛皮の外套をまとい、手袋を持った参事会員肖像画に特有の姿で描かれている(注13)。③外国商人の肖像画アムステルダム王立美術館の9点の家族肖像画(〔表1〕:3、8、15、19、20、22、23、および〔表3〕:1、5)と、エルミタージュ美術館の夫婦肖像画(〔表1〕:
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