3 結び本研究では、現在知られているヘルドルプ作品の調査を通じて、この画家のケルンにおける活動を具体的に明らかにすることを目的とした。確実にヘルドルプ作品と呼べるものの範囲を明らかにするため、記録によってのみ知られる作品や帰属の曖昧な作品はひとまず対象から外さざるを得なかったが、その様式と受容者の層について一定の理解を構築することを試みた。全体像を把握できたとは言い難いが、現時点での調査の報告として提出するものである。注⑴本稿では、今日最も広く受け入れられているGeldorp Gortziusという表記を採用したが、作品所― 119 ―この画家の政治的立場を示す象徴的な作品といえよう。13期にわたって市長を務め、プロテスタント追放の先鋒に立ったこの人物は、その政治家としての指導力が後の模範として称えられた。ザンクト・マリア・イム・カピトル教会の一族の礼拝堂に飾られたこの肖像画は、同教会における歴代市長の就任式の際、その前で就任の宣誓が行われたと伝えられる半ば公的な性格を持つ作品であった(注25)。これまでに見てきた2つのジャンルの作品を通してうかがえるのは、ヘルドルプのケルンでの活動が、市長や参事会員らとの結びつきを基盤としていたことである。加えて、これまであまり注目されてこなかったネーデルラント商人たちとの結びつきは、彼らとの関係が比較的早い時期から長期間にわたって続いていることを考えると、見過ごし得るものではない。これらの外国商人の立場や顧客同士のつながりについては、今後の研究の課題としたい。今後、未調査の作品に加えて、十分な情報が得られていない1570−80年代の帰属作品および歴史画作品について重点的に調査を補い、ヘルドルプのケルンにおける活動の詳細をさらに明らかにすることに努めたい。蔵機関によってはGortzius Geldorpという順番の表記が採用されている。⑵例外的なものとして、以下の先行研究が挙げられる。Horst Vey, “Südniederländische Künstler undihre kölnischen Auftraggeber”, Jaarboek van het Koninklijk Museum voor Schone Kunsten Antwerpen(1968), Antwerpen, 1968, pp.7−32; Ilja Veldmann, “Keulen als toevluchtsoord voor Nederlandsekunstenaars(1567-1612)”, Oud Holland vol. 107, Den Haag, 1993, pp. 34−57.⑶フェイの研究としては、注⑵に挙げたものの他、以下がある。Horst Vey, “Kölner Zeichnungenaus dem 16., 17. und 18. Jahrhundert”, Wallraf-Richartz-Jahrbuch, vol. 26, Köln, 1964, pp. 73−166;“‘Susanna und die Ältesten’ von Geldorp Gortzius in Budapest”, Wallraf-Richartz-Jahrbuch, vol. 48/49,
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