― 129 ―しかし北海道支社によるポスターとなると、この図像の選択に明らかな相違が認められる。そこでは特定の観光地を直接指し示す固有名詞的な景色や事象は、むしろ忌避されている。かわって、緑の牧場にたたずみ憩う人々や、雪山の急斜面を疾走するスキーヤー〔図7〕といった図像が用いられる。これらが暗示するものは、広大な大地・牧歌的な生活・清涼な気候・ダイナミックな自然といった、より広範な北海道のイメージである。これらのイメージは昭和初期以降、繰り返し喧伝されてきた(注6)。栗谷川のポスターはそれに具体的な視覚像を与えることで、北海道イメージの補完と伝播を促したのである。⑶印刷技術との関わり栗谷川のポスターでは手描きのイラストが、画面の主たる構成要素を成している。そしてその描写の変遷は、昭和期の製版・印刷技術の変遷を映したものでもある。戦後直後まで、札幌での大判カラー印刷は「描き版」によってなされた。これはカラー原画を製版画工が手作業で、数色から十数色の色版に置き換えるものである。原画の再現精度は、色版の枚数と、何よりも画工の熟練度によった。この描き版技術を栗谷川は、札幌の印刷所で身につけている。ついで昭和20年代半ばになると、札幌でも四色分解写真製版が本格的に普及する。これは原画を、カラーフィルターを使いながら大型カメラで撮影し、青・赤・黄・黒の四色の版を起こすものである。これにより描き版に比べてはるかに短時間かつ簡便にカラー原画の再現が可能になった。その一方で、写真撮影という工程や当時の印刷精度から、大判の写真画像を精緻に再現することには依然として限界があった。栗谷川作品のなかでは昭和25年の《Hokkaido National Parks》〔図8〕が、写真製版を用いた初例となる。そしてこの技術を受けて、イラストの描画法にも変化が現われる。翌年の《夕陽と牧車》の原画は、水溶性の絵具にアラビア糊を混ぜたもので描かれている。こうすることで絵具の粘性は増し、凹凸に富んだマティエールを得ることができる。この原画に斜光をあててカメラで撮影すると、凹凸はところどころで細かな影を生じ、立体感が強調された写真画像が得られる。こうして栗谷川は、描き版では再現の難しかった表現効果を獲得したのである。その後昭和40年代半ばになると、印刷精度の向上とカラースキャナの普及により、写真画像の大判印刷がより簡易に行われるようになる。栗谷川の観光ポスターの制作数が減じていくのは、ちょうどこの時期と重なる。⑷映画的な描写手書きの映画看板制作からグラフィック・デザインの世界に入った栗谷川のイラス
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