鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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5.栗谷川作品の独自性栗谷川健一は、観光ポスターを制作する際の心構えとして、対象となる地を訪れその地への理解を深めることの重要性をたびたび語っている。また北海道外からの依頼を受けて制作することもあったが、それらの作品についてはどこかしっくりこない感覚が残った、生まれ育った北海道こそ作品の題材として最適であった、とも述べている(注7)。― 130 ―トには、随所に映画的な描写や演出効果が認められる。《牧場の鐘》では、緑豊かな牧場の一隅でシラカバの枝に吊るされた鐘を鳴らす女性の姿が、高い視点から見下ろした俯瞰構図によって描かれている。水平線は上方枠外に押しやられ、画面全体を地面が占めている。一方、《夕陽と牧車》では仰瞰構図がとられ、水平線は画面の下方に置かれて空が大きな面積を占める。さらに、人物など主たるモティーフは画面手前に大きく配され、遠近感が一層強調されている。これらの構図は、縦判規格寸法のなかで広がりのある空間を現出するための工夫であり、さらには北海道の広大さを印象づける効果をあげている。その一方で、ハイアングルやローアングルからのロングショットという視点の設定は、映画のカメラアングルの一手法としてもしばしば見受けられる。また、《夕陽と牧車》や《ムックリを鳴らすアイヌの娘》で画面手前に大きくあしらわれた主要モティーフは、いずれも逆光をあびて比較的明るい背景のなかになかばシルエットとして浮かび上がるかのように表されている。陰影を極度に強調したこれらの描写もまた、映画表現に頻出するものである。これらの言説は、国鉄北海道支社から依頼を受けた一連の作品を一方に置いたときに、その底意が了解されよう。「Hokkaido」の語を冠したこれらの作品には、牧場の点景や雪山の光景といった図像が頻出する。これらは、栗谷川が生涯をすごした北海道の気候や地形、文化や産業から抽出した要素であり、北海道のイメージを象徴するものに他ならない。そしてこの北海道イメージは、昭和初期には広範囲にわたって共感とともに唱えられていたものではある。しかし一方で、これらの牧場や雪山は、栗谷川自身が幼少時より繰り返し目にしてきた、北海道の実像でもある。栗谷川の観光ポスターでは、広範な社会において受容された北海道像と、作者自身に内在する北海道像とが無矛盾に結びつき表出されているのである。栗谷川の出世作となった《夕陽と牧車》のモデルは、長男の悠氏がつとめたそうである。夏の観光ポスターの原画を制作するために栗谷川は、まだ風寒い早春、現在は

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