注⑴栗谷川健一の活動をまとめたものとしては、次のものがある。― 131 ―羊ヶ丘展望台として多くの観光客を集めている札幌市内の北海道農業試験場に赴き、その敷地にあった牧車の上で長男にポーズをとらせスケッチしたという。この例に限らず、栗谷川の家族、その妻や子供たちは、北海道観光のポスターの多くで、その登場人物のモデルをつとめてきたという。これらは、北海道を象徴する図像を単なる絵空事として描くのではなく、どこまでも自らにとってリアリティある景色として捉えようとする、栗谷川の制作姿勢を垣間見せるのである。栗谷川健一の一連の観光ポスターは、当時の宣伝戦略や印刷技術といった作品制作を取り巻く外的要因によって性格づけられたものであることは疑うべくもない。しかし、作者自身の北海道への愛着という内的衝動を抜きにしては制作されなかったことも確かである。そしてこれら両者がより高い次元で均整を保ちえたからこそ、栗谷川の作品は国内外で高い評価を獲得したのであり、また昭和期における北海道の視覚イメージの一典型として、より説得力を持って広範に流布しえたのである。本研究にあたっては、栗谷川健一の長男・栗谷川悠氏、長女・栗谷川彩子氏より、多大なご協力を賜りました。記して感謝の意を表します。栗谷川健一『栗谷川健一の世界』講談社、昭和57年芸術の森美術館編『栗谷川健一展 図録』財団法人札幌芸術の森、平成4年⑵同コンクールは、社団法人日本観光協会主催・JRグループ各社共催の日本観光ポスター・コンクールとして、現在まで継続開催されている。⑶西島伊三雄「思い出の観光ポスター制作」『日本観光ポスター秀作選』社団法人日本観光協会日本観光ポスター秀作選刊行会、昭和56年、92〜93頁⑷九州7県においては、国鉄西部支社のもとに門司・熊本・鹿児島・大分の四鉄道管理局がおかれた。⑸この時代の観光ポスターについては、前掲注⑶『日本観光ポスター秀作選』に多数の作品が掲載されている。⑹例えば、鉄道省編『日本案内記 北海道篇』(昭和11年)には、本州と異なる北海道の地勢・気候・産業について、詳細かつ繰り返し案内されている。⑺栗谷川健一「観光ポスター作家としての一つの歩み」前掲注⑶、90〜91頁栗谷川健一「宣伝美術六十年」『私のなかの歴史 第6巻』北海道新聞社、昭和61年ほか
元のページ ../index.html#141