2、先秦の文献にみる「■」 ― 武獣・戦闘のイメージ2−1、「角」と「革」先秦の文献にこの「■」の記述を見ると、『周礼』「考工記」の「函人」には「犀甲■可百年、■0甲0■0二百年000。」と記述されるように(注7)、古くは、■の革が、犀の革よりも堅牢な「鎧」の素材として珍重されたことが判る。革のみではなく、例えば『老子』「道徳経」「貴生」に「■0無所投其角00000、虎無所措其爪、兵無所容其刃。」とあるように、■の特徴は「角」にも見いだすことができるだろう。この様に先秦の文献中の■は、その屈強な「革・角」を特徴としつつ、「武力(兵器)」に関わるものとしてイメージされていたと言える。2−2、楚文化圏と「■」のイメージ ― 南方の強国・楚の「武獣」さらに■に関する先秦の文献を見ると、この独角獣の描写がとりわけ中国南方の楚― 135 ―邪気の侵入を防ぐ「地府の守護神」として機能していたものと推測する。しかし後述のように、文献記載の多くは「獬豸」を「神羊」とする。南陽の画像石にみられる独角獣は、その圧倒的多数が牛型で表されており、その解釈については再検討の必要があるだろう。④■説南陽漢画館編『南陽漢代画像石墓』が「■」と称するのを始め(注4)、この独角獣を「■」に比定する論は少なくないが、その職能・性格を巡っては諸説ある。例えば管野恵美氏は(2008)、河南の漢代画像石に多くみる独角獣「■」の主な性格は「水神」であるとする(注5)。一方、熊形の獣が両脇の独角獣の角をつかむ「熊斗二■」と称される図像について〔図2〕、『南陽漢画像石』報告書では(1982)、「二■」に比定する独角獣を、疫鬼駆逐の熊形の古代神・方相氏によって祓われる「凶邪」と見なす(注6)。しかし、先秦から漢魏晋南北朝にかけての「■」の性格変容からすれば、この■を駆逐されるべき凶邪とするのは妥当ではないだろう。以上、諸説の概論と問題点を示した。④の「■」説をとる本論では、以下これまでの図像研究とは異なるアプローチとして、先秦から六朝迄の文献に見る「■」の性格変容を通覧しつつ、南陽の漢代画像石に多く表わされる独角獣が「■」である妥当性と、そこにイメージされたものについて検討する。に集中ししていることに気づく。例えば『戦国策』「宋」を見ると、「荊有雲夢、犀0■0麋鹿盈之」とあり、■は南方の楚地方の沼沢に棲息するものとされる。同じく『戦国策』「楚」には「楚王游於雲夢、
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