4、「■」の瑞獣化 ― その成立過程について南陽の漢代画像石にみる独角獣は有翼のものが殆どである〔図5,6〕。この点に関連して、南陽の独角獣「■」が兼備したと思われるもう一つの性格について考察する。4−1、六朝以降の「■」の変容 ― 正邪を質す瑞獣「■」図讖革命によって後漢を再興した光武帝の出身地であることなどから、南陽の画像― 137 ―出土の漢代画像石に、例の牛型の独角獣の姿が見えないという点であろう(注11)。また西王母世界への引導役の独角獣図として示される山東省沂南の漢画像石にみる独角獣は、南陽のそれとは造形的に異なっている〔図3〕。これらを総合してみても、南陽の独角獣のもつ職能を②の「西王母世界への引導役」とするのはやや早急であろう。一方、③の獬豸説では、南陽漢画像石の独角獣の多くが「墓門」周辺に描かれることを手がかりに、これを楚人が崇拝した独角の法獣「獬豸」である可能性が示される。この独角獣の性質を、墓門を守る守護神とする点、楚文化に深く関わる神獣であるという点については本論でもほぼ同じ立場をとるが、その名称については「獬豸」ではなく「■」であると見なしたい。3−2、「獬豸」か「■」か目下、獬豸に関する記載は■よりも下り漢を遡らず、その多くは古代の法官が頭上に頂いたという「獬豸冠」に纏わるものである。例えば『後漢書』に拠れば、獬豸は正邪を見分ける能力のある「神羊」であり、ゆえに楚の王はこれを捕獲して冠としたという(注12)。しかし問題は、漢の王充『論衡』にも「獬豸者、一角之羊也。」と言わるように、獬豸は「羊」とされる点であろう。一方、『説文解字』の「■」では「如野牛而青」と言い(注13)、『爾雅』「釈獣」では「■、似牛」と説かれることからすれば(注14)、■は牛形の獣である。いま、牛に似た尾を持ち、肩を怒らせ、真っ直ぐに伸びた独角を武器とする南陽の漢代画像石にみる独角獣は「牛」に近い形であると言え、例えば山東の漢代画像石に刻まれる曲角をもつ「羊」の形とは全く異なる〔図4〕。これらを総合すると南陽の独角獣はやはり「獬豸」ではなく「■」とみなすのが妥当であろう。またこの独角獣の持つ「邪気払い(駆鬼逐疫)」という職能についても、「獬豸」が角を以て有罪者を「神判」することに由来するのではなく、むしろ「■」が古来持つ「角・革」をシンボルとする武獣としての性格を反映するものと解したい。
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