― 5 ―乾隆初期に郎世寧が描いた作品は、彼が若く精力的であったこともあり、人物の顔面の描写はもっと精密であり、又、助手がなかったので、全て郎世寧が独自で完成させたものである。正式な全身朝服肖像画の他、清朝故宮の資料には郎世寧が描いた油絵肖像画のことが記載されている。油絵というジャンルの出現は清代であった。その中では郎世寧の影響が最も大きく、作品の数も多く、油絵肖像画も目立っている。清代宮廷において油絵は人物肖像画と宮殿の装飾にしか使われておらず、独立した主題性のある絵画は滅多になかった。油絵肖像画を描いても、それはただ皇帝・皇妃などの朝服像を描く為の下絵と素材を収集する目的に限られた。ところで、「油絵」という名詞は清代雍正、乾隆時代の内務府造辨処の档案中に度々現われ、それは注目すべき点である(注7)。しかし、これらの数百年前の油絵作品は、清朝宮廷に専門的な油絵の修復師がいなかったこともあり、かなり保存状態が悪い。その為、油絵作品は僅かに残されているのみである。現在、北京故宮博物院には、清朝宮廷時代の幾つかの油絵作品がある。その中で最も古い時代のものは、「桐蔭仕女図」という八枚の屏風である。それは康熙後期に初めて油絵を学んだ中国人宮廷画家の冷枚によって描かれたもので、郎世寧の影響を受けていた。屏風の一面の絹の上に、女性と建築物がある。反対側は康熙皇帝が董其昌の行草書を臨書したものである。この絵の建築物は明暗をはっきりと表現し、立体感が非常に強く、且つ焦点透視の画法が応用されている。しかし、詳しく見ると、透視の法則は不十分で、人物の表現も弱く、また、油彩技法もしっかりしておらず、色彩の運用は簡単で、ほとんどの所は平面で塗られている。これらの点について郎世寧の作品と比較して見ると、両者の絵画水準の差が一目瞭然である。また、現在、北京故宮博物院やフランス・パリ・ギメ博物館、及び個人収蔵家が、清朝の皇帝、皇后、皇妃の肖像画の作品を収蔵している。当時の郎世寧の油絵の制作の事情を知る為に、筆者は彼の描いた幾つかの乾隆皇帝及び后妃の油絵肖像画を調査した。その結果、「乾隆皇帝半身朝服像」紙本・油彩・54.5×42cm(フランス、パリ、ギメ博物館蔵)と、「乾隆皇帝半身戎装像」(寸法不詳)(フランス、ドール美術館蔵)の油彩があった。作品中の約40歳の乾隆皇帝は、甲冑を着て、鬚をたくわえている。背景は青い色で描かれ、ヨーロッパ画風が濃厚である。油彩画では他に、「孝和皇后半身朝服像」〔図5〕、「慧賢皇貴妃半身朝服像」〔図6〕、「婉嬪半身朝服像」〔図7〕、「孝賢純皇后半身朝服像」〔図8〕、「純惠貴妃半身像」紙本・油彩・54.5×42cm(個人蔵)、「嘉妃半身朝服像」紙本・油彩・53×41cm(フラ
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