鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 140 ―影響の下に「瑞祥」として詠む特徴が認められる(「九尾狐図讃」「水馬図讃」等)。古く角・革をもって武獣とされてきた■を、「皮充武備、角助文徳」と讃ずる「■図讃」もまた同類の例として位置づけられよう。さらに、いま『山海経』「南山経」にみる■の記述に対して、郭璞は、「■如水牛、色青、一角00、重三千斤」と注釈し、『爾雅』「釈獣」には「■0一角00、色青、重千斤」と注するように、■の「一角」の要素をことさらに強調している。このような意識は、『山海経図讃』「■」において、「(一)角」をシンボルとした瑞獣・■を讃することにも通じるものであろう。5−3、一角獣「■」の瑞獣化 ― 『山海経』と災異・瑞祥このように■が瑞獣化を辿るための重要なポイントとして、ここで改めて強調したいのは、「■=一角」という定義が『山海経』を以て嚆矢とすることである。この点からすれば、漢以降の「一角=瑞獣」のシステムに古来の武獣・■を引き込んだのは、ほかならぬ『山海経』の存在であった、と言えるのではないか。図像とともに古の神話世界を伝える『山海経』は、前漢末の古文家・劉歆の校訂を経て世に出された。その劉歆の『山海経敘録』に「文学大儒皆読学、以為奇、可以考禎祥変怪之物、見遠国異人之謡俗。」と云うように、前漢末には『山海経』は、「考禎祥変怪之物(吉兆や変化のことを考証)」するものとしても受容されたことが判る。またちょうどこの前漢末辺りから、讖緯説の下に「瑞祥」の種類や数が増え始めたことを考えあわせると、『山海経』の漢に於ける受容の一因として、この古書の伝える原始的な吉凶情報が(注21)、当時の人々の「災異・瑞祥」に対する関心と合致したことが推測されよう。5−4、漢代の画像石にみる『山海経』の受容その多くが異形である「瑞祥」の真偽を正しく判断するための根拠とされたのが「図像(瑞祥図)」であった(注⒄参照)。山東省武氏祠堂の後漢時代の画像石に描かれる瑞祥図は、こうした図解書の存在を示す早期の作例とされるが、本論で注目すべきは、この瑞祥図には『山海経』の異形の鳥獣(諸■、畢方)の姿がその経文を伴って描かれる点である〔図7〕。これは、原始的吉凶観を有する古来の『山海経』の異獣達が、天人相関の讖緯説流行の下、人々の死後の安寧を司るものとして受容されたことの好例であろう。いま南陽の漢代画像石に多く描かれる有翼の独角獣「■」もまたその一例ではないだろうか(注22)。南陽に分布する漢代画像石にこの有翼の独角獣「■」が最も多く表わされたのが、ちょうど『山海経』が盛んに読まれはじめ(注23)、また讖緯説興隆の下に瑞祥の種

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