注⑴長廣敏雄『南陽の画像石』(美術出版社1969)⑵吉村苣子「楚墓鎮墓像の成立と展開」(『MUSEUM』512,1993)。同氏「中国墓葬における独0、0。瑞有小大0。見則謂之瑞0、太平之象也。」0000000000― 141 ―類が急増した、後漢初めから中期という時期に相当することもそれを傍証するだろう(注24)。結語図讖革命によって後漢を再興した光武帝の出身地である南陽は、著名な讖緯家を輩出した地でもあった(注25)。このような時代性・地域性を踏まえ、とくに後漢の南陽画像石墓の墓門周辺に多く表される有翼の独角獣「■」は、楚文化圏に伝わる古来の「武獣」としての性格を基礎としつつ、そこに萌芽的段階にあった『山海経』に由来する「一角の瑞獣・■」の要素が加わったものと見なしたい。それらは被葬者の霊魂を守護する辟邪として機能を持つと同時に、天意を反映する瑞祥としての両義性を併せ持つものであったと解せよう。角系鎮墓獣の系譜」(『MUSEUM』583,2003)⑶牛天偉「魯迅蔵南陽漢画像中的独角神獣考」(『魯迅研究月刊』2005.8)⑷南陽漢画館編著『南陽漢代画像石墓』(河南美術出版社1998)⑸管野恵美「墓葬装飾における瑞祥図の展開」(『東洋文化研究』10,2008.3)⑹『南陽漢画像石』編委会「鄧県長冢店漢画像石墓」(『中原文物』1982.1)⑺『周禮』、以下、『老子』『戦国策』と共に『四庫全書』電子版(上海古籍出版社2003)所収。⑻『荀子集解』、以下、『論衡』と共に『諸子集成』(中華書局1957)所収。⑼『山海経』「南山経」「祷過之山、其下多■」(袁珂『山海経校注』巴蜀書社1996)など。⑽『史記』「貨殖列伝」「南陽西通武関、■関、東受漢、江、淮,宛亦一都会也,俗雑好事,業多賈。」(中華書局1982)⑾南陽の漢画像石にも西王母は描かれるが(李■『論漢代芸術中的西王母図像』湖南教育出版社2000)、この独角獣を多く描く鄧県長冢店漢墓(墓門門楣「熊斗二■」、主室南二側室東門下檻「二■斗」等)ほか、麒麟岡漢墓(門限石一,二「■」)、■営一号墓(門楣「二■斗」)、高廟漢墓(門下檻石「■」)、王庄漢墓(墓門副門楣背「二■相斗」)、建材試験厂漢墓(門檻石「白虎戯■」)には西王母の姿は見えない。(図像の名称は前掲『南陽漢画像石墓』に拠る。)⑿『後漢書』「輿服志」「法冠」「獬豸神羊、能■曲直、楚王嘗獲之、故以為冠。」(中華書局1995)⒀湯可敬撰『説文解字今釈』(岳麓書社1997)⒁『爾雅注疏』(『十三経注疏』中華書局1996)所収。⒂墓葬装飾に於ける瑞祥図の展開について検討した菅野恵美氏の論究(2008)では、河南出土の独角獣を「水神・■」と見なすが、その瑞獣としての成立過程については言及されていない。0…鳳皇麒麟0⒃『論衡』「指瑞」「王者受富貴之命、故其動出、見吉祥異物大物0
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