― 145 ―⑭大坂四条派の研究研 究 者:関西大学 非常勤講師 柴 田 就 平はじめにフェノロサは、明治11年(1878)の来日以降、絵画のみならず日本美術に関する多くの講演を行っている。特に、明治19年(1886)に祗園中村楼で行われた講演は、京都の美術家たちを前にして論じたもので、フェノロサ日本滞在時においては、円山・四条派系に関して最も詳細な内容を伝えている。また、フェノロサ没後の1912年にロンドンとニューヨークで刊行された『Epochs of Chinese and Japanese art』(注2)には、フェノロサが日本滞在時に語らなかった円山・四条派系の第三世代への詳細な評価が記されている。日本においては、大正10年(1921)に『東亜美術史綱』、昭和56年(1981)に『東洋美術史綱』として和訳で刊行されている。同書には、フェノロサが高く評価しながらも、日本近世絵画史において十分に評価および研究が行われていない大坂四条派の画家に関する見解が記されている。現在、大坂四条派に関する文献は散見されるものの、明治時代に大坂四条派に関して記述した文献は極めて少なく、フェノロサの論述は大坂四条派研究において重要な位置を占める。そこで、本調査では、フェノロサの円山・四条派系に対する日本滞在時の評価と、帰国後の評価を整理し、大坂四条派に関する記述を抽出する。特に、祗園中村楼で行われた講演や、帰国後に記された『Epochs of Chinese and Japanese art』での記載に注目する。また、それらの評価が作品収集にどのように反映されたのかをボストン美術館のFenollosa-Weld CollectionやWilliam Sturgis Bigelow Collectionに所蔵Fenollosa-Weld CollectionやWilliam Sturgis Bigelow Collection、その他のコレクションを含めると、ボストン美術館には計300点以上に及ぶ円山・四条派系の作品が所蔵されている。その多くがWilliam Sturgis Bigelow Collectionに属するが、明治15年(1882)9月30日にビゲローがヘンリー・ロッジに宛てた手紙によると、「私はもうほとんど絵画しか買わない―それもフェノロサの指示に従って」(注1)と記されており、ビゲローのコレクションには、フェノロサの日本絵画への評価が少なからず反映されていたことが明らかとなる。フェノロサの影響として、ビゲロー唯一の日本画論とされる明治35年(1902)12月5日刊行の『美術新報』の記述を見ると、ビゲローが語った美術教育の見解でさえ、フェノロサとの類似性が指摘できるなど、依然としてフェノロサの影響下にあったことが推測できる。したがって、両コレクションは、共通の評価基準によって蒐集されたといってよい。
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