鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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  普通ノ京都人ニ在テハ支那日本歐洲ノ古美術高尚ナル所ヲ棄テ自カラ誇テ應舉若クハ近時ノ畫師ノ狭小ナル範圍ヲ脱セス今日京都ノ畫家ノ間ハ人々相敵視シ派々和合セス  金岡基光光長慶恩雪舟蛇足正信宗達應舉岸駒ノ名畫ヲ調ヘ或ハ其模本ニヨリ或ハ  彩色中ニハ濃淡淺深ノ度無量ナレハ彩色ヲ施スニ際シ細カニ各色ノ濃淡ヲ考慮セサルヘカラス然ラサレハ畫面錯亂シテ冷淡無神ナルノミ是京都畫風現今ノ弊ナリ  應舉ノ畫ノ如キ其技力ハ實ニ勝ルモ其畫ク所ロノ物ニ依テ感動スル所ナシ四條派ノ畫ノ如キ壽老人東方朔ヲ畫キタリトモ毫モ感動ヲ起サヾルベキナリ公明正大ノ― 146 ―される作品を通じて明らかにしたい。⑴日本滞在時における円山・四条派系への評価フェノロサの円山・四条派系に対する評価は、明治14年(1881)の東京の美術家を対象に行った第四回の講演や、明治21年(1888)の畿内美術取調の出張中の講演とされる京都の美術家、工芸家に対する講演などで述べられており、その際の英文原稿が遺存している。明治19年(1886)祗園中村楼で京都の美術家を対象とした講演が、円山・四条派に関して最も詳細に述べた内容となっている。そこで、フェノロサの日本滞在における主な論評として、ここでは、明治19年(1886)の祗園中村楼での講演を採り上げ、フェノロサの日本滞在時における円山・四条派系の評価を検討したい。この講演の内容は、『日出新聞』の6月13日、15日から20日に連載されており、また、同年6月と7月に刊行された『大日本美術新報』の32号と33号との二回に分けて掲載されている。ここでは、『大日本美術新報』に掲載された文言を採り上げる。祗園中村楼での講演において、円山・四条派系に関する記載を順に抽出すると次のようになる。寫眞ニヨリ百方之ヲ考究シ各其長所ニ注意ス  狩野家ノ如キ甚ダ野卑ナル着色ヲ施セシ□(事)アリコレ一色中ノ濃淡ニ注意セザルヲ以テナリ四條家ハ注意ノ點アレドモ後ニ至テハ狩野ヨリモ尚惡シ大抵ハ白地ノ一隅ニノミ畫クト云位ナリ

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