鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 149 ―ェノロサが具体的に名を記した画家とは、松村景文、柴田義董や岡本豊彦、横山清暉、長谷川玉峰、西山芳園、森寛斎、岸岱らである。これらの画家は、第二世代と第三世代の画家であり、この点からも四条派に対する評価が低いものではなかったことを物語っている。その一方で、第四世代の画家については、偉大な画家は少ないと指摘しており、具体的に名をあげてはいない。その理由としてフェノロサは、彼らが模倣に終始している点をあげている。また、第五世代の画家としては、竹内栖鳳をあげ、幸野楳嶺の弟子でまだ若いが、京都美術学校の中で最も成功した教授である、と指摘している。同書におけるフェノロサの評価において、応挙への評価は、日本滞在時と変わらず高いものであるが、日本滞在時に具体的に名をあげて評価しなかった第二世代や第三世代の画家を高く評価していることは注目に値する。フェノロサは、第三世代の円山・四条派系の画家の中から、1840年代に独創的な制作を行った4人の画家をあげ、「four landscapists」として、それぞれの画家について言及している。その4人を順にあげると、岸駒門下の横山華山、森徹山の養子となった森一鳳、岡本豊彦門下の塩川文麟、最後に松村景文門下の西山芳園である。まず、横山華山については、ボストン美術館所蔵の横山華山筆《常盤雪行図屏風》をボストンでの重要な作品としている。しかし、それ以上に作品の詳細については論じていない。華山の作品は他にも、《芦鶴、猿曳図屏風》など数点が所蔵されている。同書においてフェノロサは、華山の作品を提示するのみで、作品に対する詳細は述べていない。また、三番目にあげている塩川文麟の様式については、他の四条派の画家のたちと比較して、「heavier」や「more muddy」と批判的な見解を述べているが、その一方で、特に雪や霧を好み、大気の描出に秀でていたことを好意的に評価している。「heavier」や「more muddy」という表現は、《桃太郎図屏風》に見られる岩肌の質感や厚みのある水の描写などから、そのように感じ取ったのであろう。彼ら二人に対して、大坂を活動の拠点とした森一鳳や西山芳園に対しては評価はさらに高く、まず、森一鳳について言及しておくと、「His breadth of execution and daringsquare touch make him almost worthy to be called the “Sesshu Shijo.”」と記されており、闊達な筆致と真体の画風から、「四条派の雪舟」と呼んでも過言ではないとフェノロサは指摘している。また、現在は確認できないが、ボストン美術館所蔵の「pine treein snow」と題される作品を採り上げ、それは二種類の色調による写真のようであり、アメリカ人の学生が授業で制作したようであるとし、その写生の正確さと、几帳面さを感じさせる制作姿勢を評価している。フェノロサは4人の画家の中でも、最後にあげる西山芳園を最も高く評価してお

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