鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 6 ―ンス、ドール美術館蔵)があり、屏風の様式である。油絵の具で厚い朝鮮高麗紙(注8)に描かれた。現在、作品の保存状態は良好である。しかし、高麗紙は専門的に加工されておらず、絵の具の油を吸い込んでしまい、作品は完全に油彩の光沢が失われてしまっている。この幾つかの作品は、アヘン戦争の頃にヨーロッパに流れたもので、その後、フランスの博物館、美術館に収蔵された。これらの油絵肖像画の画風は、ヨーロッパの味わいが深い。特に背景の部分は完全に色彩で覆われ余白が残されていないので、伝統的な中国工筆画と大きな違いがある。前述の油絵肖像画に類似した作品が北京故宮博物院に収蔵されている。例えば、「康熙皇帝像」、「乾隆皇帝撫琴図」、「孝賢純皇后像」、「孝和皇后像」などである。さらに、ドイツ・ベルリンの国立民族学博物館に独立した油絵肖像画が15点収蔵されており、全て中国から散逸した清朝宮廷の古物である。それらの作品は蒙古民族の「王公像」である。これらの肖像画は郎世寧が描いたものだけではなく、他の中国人画家が描いたものが含まれている。上述の油絵肖像画は、ヨーロッパの人物肖像画と著しい違いがある。同時代のヨーロッパの画家は、人物の顔に特定の光を照らして凹凸感をよく表し、顔の陰影をはっきりさせている。その為、明暗の対比が強く感じられる。しかし、清朝の肖像画は、中国の伝統的な人物工筆画を油彩にも取り入れ、描かれた者は光の変化に影響されず、通常の状態のように目・耳・鼻・口がはっきりと描かれている。終わりに大清帝国は宮廷画院を作り、康熙、雍正、乾隆の三帝の時代に最盛期に達した。その時、イエズス会の宣教師であり、画家である郎世寧が、西洋絵画の凹凸法、明暗法、透視法を伝えた。同時に、中国水墨画の散点透視の技法も使われた。その写実的な肖像画は、乾隆皇帝の好みに合い、彼の才能や技術が認められた。皇帝、皇后、皇妃、皇嬪の正式な「朝服像」はその代表で、郎世寧の盛期作品であると言えよう。しかし、それらの肖像画の中には、ほとんど画家の署名がないので、作品の制作者の判断が非常に困難になってしまっている。北京故宮博物院と台湾故宮博物院に収蔵されている皇帝肖像画、特に「朝服像」の中には全てサインがないので、郎世寧の描いた肖像画の真贋の判断と識別は難しくなっているのが事実である。郎世寧作品の真偽についての分析には、『国朝院画録』や『石渠寶笈』や『清朝宮廷造辨処档案』などの原資料が重要なものであろう。また、郎世寧は自分で絵を制作するだけではなく、宮廷の中国人画家に西洋画法を教えた。彼の中国人学生は十数人に達している。宮廷中国人画

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