鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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研 究 者:東京大学大学院 人文社会系研究科 博士課程  邱   函 ■はじめに本研究では、「故郷」の観点から、美術における「台湾的」主題の発生と変化を再考する。「故郷」という概念、及びその表現は、美術、文学、音楽等の様々な分野の文化に見られる現象である。成田龍一氏によれば「故郷」概念は、都市と共に発見され、意識化されるものである。人は「都市」にあって、時間的空間的に離れた「故郷」を自分の起源の土地として語るのである。また、「故郷」は、個人のアイデンティティと結びつく一方で、共同体の心情やアイデンティティとも密接に関連している。さらに、「故郷」は構成され、学習されるものでもある(注1)。近代台湾美術における「台湾的」主題の様相は極めて複雑であるが、その中で芸術家のアイデンティティと強く関わるのは「故郷」という共同体意識の下に発生した造形であろう。戦前、東京に留学した台湾人は、しばしば「台湾的」主題を描き、日本の官展に提出した。これらの作品は、彼らが日本で、植民地である台湾を「故郷」として改めて認識したことにより生まれたものであろう。彼らの製作の背景には、自己のアイデンティティに対する危機感がある。本稿では彫刻家黄土水(1895−1930)と、洋画家陳澄波(1895−1947)に焦点を絞って、それぞれの故郷意識に関わる作品を分析する。この作業を通じて、台湾人の芸術家がどのように「台湾」イメージを形成し、自己のアイデンティティを規定していったかを解明したい。1 「故郷」の発見―黄土水の「水牛シリーズ」作品について彫刻家、黄土水は1895年、台北の艋■に生まれ、1915年に東京美術学校の木彫科に入学した。1920年には台湾人として初めて帝国美術展覧会に入選している(注2)。1922年の3月に、彼は「台湾に生れて」という文章を発表し、次のように言う。「その国に生れてその国を愛し、その土地に生れてその土地を愛するは、人情である。芸術に国境なく、何処でやつても同じ筈ではあるが、矢張り自分の生まれた土地が懐かしい。我が台湾は美しい島であるから特に懐かしい。」(注3)ここで、黄土水は台湾を自分の生まれた土地、「故郷」として語り、そこへの思いを表明している。さらに続けて、当時の日本人の台湾に対する未開の地としてのイメージや、「抱腹絶倒」の奇問に、「憤慨よりも寧ろその無智を憫みたくなる程である」― 157 ―⑮近代台湾美術における「故郷」―黄土水と陳澄波の作品を中心に―

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