鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 162 ―らに前に伸びており、鳳凰木の特徴である羽状複葉と真っ赤な花が躍動感ある筆致で描かれ、木の生命感があますことなく表現されている。白い顔料でハイライトをつけることによって、枝の存在感がさらに際立つと同時に、鑑賞者に非現実的な印象を与える。鳳凰木は熱帯の代表的な花樹の一つで、夏に真っ赤な花が満開になると、まるで燃えているかのように見える。日本人で最初にこの植物を描いたのは石崎光瑤であろう。彼の「燦雨」(1919年)〔図9〕では、鳳凰木に印度クジャクとインコが配され、さらに金色のスコールが描かれて熱帯の光線が表現されている(注23)。鳳凰木を使って熱帯の気分を演出する手法は、台湾美術展覧会の審査員、郷原古統「南薫綽約」(1927年)にも使用され、鳩が配されている。彼は「赤い花と鳩によって南国の昼時の気分を表そう」(注24)としたと述べている。鳳凰木の赤い花は熱帯のイメージとして定着しており、「南国」の気分を伝えるのにふさわしい題材であったと考えられる。しかし、陳澄波の「辨天池」においては、石崎や郷原の作品に比べて鳳凰木の花があまり強調されていない。また、池には、丹頂鶴、白鳥、ハリゲンの三種の鳥が見られるが、特に鳳凰木と丹頂鶴の組み合わせは鑑賞者に違和感を持たせるものであったのではないか。丹頂鶴は東アジアの伝統的画題であり、しばしば松、竹、梅などの植物と組み合わされて描かれるが、熱帯の雰囲気とはそぐわない。当時の写真から、辨天池で丹頂鶴が飼育されていたことは確かだが(注25)、陳澄波がこの鳥を画面の前面に描いたのは単なる写生以上の意味を持っていたのではないか。陳澄波は自身の絵画観や製作を説明した言葉の中で、東洋人としての自分の絵は「東洋的」であらねばならぬと強調している。また、中国絵画の様式上の影響を受けた線描とタッチを、ルノアール式の線の動きやゴッホ風のタッチと融合し、濃厚な色彩で東洋的な感覚を伝えるのが自分のやり方であるとも言う(注26)。このような言説は1910、20年代の南画論と類似するところがあり、また、1930年代の日本画壇における日本回帰という時代の風潮と軌を一にしていると考えられる(注27)。このような背景を踏まえれば、「辨天池」の丹頂鶴は「東洋」の絵画の記号として描かれている可能性が高いと言えよう。陳澄波の図版コレクション(注28)の中には福田平八郎の「鶴(三幅対)」(1923年)と高間惣七の「鶴」(1932年)〔図10〕の絵葉書があり、「辨天池」の鶴はこれらと類似する。また、鳳凰木の組み合わせは、高間が大きな花樹と鶴の組み合わせによって洋画に「日本的」な感覚を表現しようとした試みから影響を受けた可能性もある。「辨天池」には、他にも日本、中国の絵画からの引用が見られる。

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