― 164 ―〔付記〕本申請研究に当たり、陳澄波氏遺族陳重光氏、台北市立美術館学芸員林育淳氏、国立台湾美術館学芸員薛燕玲氏、任台勝氏、嘉義市文化局展覧芸術科科長呉松村氏、臧秀蘭氏、呉思儀氏、東京大学佐藤康宏先生、板倉聖哲先生、台湾中央研究院顔娟英先生、東京大学大学院博士課程植松瑞希氏、黄立芸氏を始め、御協力と御助言を得た全ての方々に厚く御礼を申し上げます。に灯籠と神社が日本の、前述した鶴が東洋の記号として見ることができることを併せて考えれば、ここでの白鳥は西洋の記号と解釈できるのではないだろうか。つまり、ここでは、台湾、日本、東洋、西洋が一つの画面に融合され、理想的な故郷の風景が描かれていると言えるのである。おわりに黄土水と陳澄波は、植民地体制の中で「芸術家」という近代的な職業で成功した代表的台湾人である。彼らは帝都東京に行き、日本人の「南国」台湾に対するさまざまな視線の下、自らの存在を再確認し、故郷意識を育てていった。日本の「帝展」に入選するため、彼らは台湾の特殊性を強調しながらも、そこにおける自分の存在を脅かす要素を払拭していった。このようなアイデンティティ再構築の過程は、台湾人芸術家による「台湾的」主題の発生や変化と関連がある。一方、植民地体制においては、台湾人が主体的に近代化に取り組むことは制限されていた。彼らの作品には、「近代性」に対する渇望が強く感じられ、故郷意識・アイデンティティの葛藤が見られる。故郷という共同体の意識に繋がる「台湾的」主題の表現はまさにこの複雑な力関係の中に生まれたものとも言えよう。1930年代の日本画壇の日本回帰という動向は、自らの近代性を問い直し、アジア的近代を求めていくという「近代の超克」の精神構造と関連がある(注31)。陳澄波が台湾の風景を「東洋」絵画の伝統と結びつける試みにも、この時代の動きが感じられるが、「辨天池」において画家が描くのは、ヨーロッパ的都市空間の枠組みの中に位置する公園である。ここで描かれた公園という枠には、「街道の夏気分」の電信柱と同様に、彼の「近代性」に対する執着心が感じられる。この「近代性」は日本人によって与えられたものであり、台湾人が主体的に近代化に向かうことは禁じられていた。陳澄波の理想は美術による台湾の近代化であり、台湾人が未だ政治的、文化的近代性に対する主導権を握っていなかった当時にあっては、「近代の超克」を実現する段階には至らなかったと言えよう。
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