鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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注⑴成田龍一『「故郷」という物語:都市空間の歴史学 』吉川弘文館、1998年、2−17頁。⑵黄土水の研究については顏娟英「徘徊在現代藝術與民族意識之間―台湾近代美術史先駆⿈土― 165 ―1920年10月17日、19日。(顔娟英訳著、鶴田武良訳前掲書166−167頁にも収録。)水」『台湾近代美術大事年表』雄獅図書、1998年、7−23頁を参照。⑶黄土水「台湾に生れて」『東洋』25:2/3、1922年3月、183頁。(顔娟英訳著;鶴田武良訳『風景心境:台湾近代美術文献導読(下)』雄獅図書、2001年、168−173頁に収録。)⑷同上、183頁。⑸「彫刻『蕃童』が帝展入選する迄―黄土水君の奮闘と其苦心談(上)、(下)」『台湾日日新報』⑹横山りえ「牧童」解説を参照、東京藝術大学大学美術館『芸大美術館所蔵名品展』図録、1999年、134頁。⑺中国絵画の水牛図との関係は東京大学東洋文化研究所板倉聖哲准教授の御教授による。ここに記して感謝の意を示したい。⑻黄土水自身、水牛を「巨獣」と呼んでいた。「今秋の帝展出品の水牛を製作しつつ―本島彫塑界の偉才黄土水氏」『台湾日日新報』1923年8月27日を参照。⑼同上。⑽李淑珠「台湾ローカルカラーの戦時動員について」『美術史』161号、2006年10月、53頁。⑾同上、53頁。また、絵葉書の写真は陳芳明「殖民地社會的図像政治―以台湾総督府時期的写真為中心」『殖民地摩登―現代性與台湾史観』麥田出版、2004年、239頁に掲載。⑿顏娟英前掲論文、17−18頁。⒀黄土水前掲論文、169−170頁。⒁黄土水の水牛シリーズ作品に現れるアイデンティティについては、顏娟英「日治時期地方色彩與台灣意識問題―林玉山從『水牛』到『家園』系列作品」『新史學』15卷2期、2004年6月、115−143頁でも言及されている。⒂陳澄波の生涯と研究については以下の論文を参照。陳重光「我的父親陳澄波」「陳澄波生■年表」『台灣美術家2學院中的素人画家―陳澄波』雄獅図書、1979年、86−95頁。謝里法「學院中的素人画家陳澄波」『雄獅美術』106期、1979年12月、16−43頁。顏娟英「勇者的画像−陳澄波」『台湾美術全集1陳澄波』芸術家出版社、1992年、27−48頁。李淑珠『「サアムシニーグSomething」を描く―陳澄波(一八九五〜一九四七)とその時代』京都大学博士論文、2005年2月。李淑珠『描絵出「サアムシニーグSomething」―陳澄波(1895〜1947)画風形成的考察』嘉義市文化局、2005年3月。李淑珠「陳澄波(1895〜1947)とその時代―《私の家庭》における「プロレタリア絵画論」と《日本二重橋》」『美学』第54巻1号(213号)、2003年6月、27−41頁。⒃「入選の喜び―台湾の陳君」『報知新聞』1926年10月11日。⒄都市の辺境風景に見る自然と文明の対比については、佐藤康宏「都市とその辺境―岸田劉生『道路と土手と塀(切通之写生)』」佐藤康宏編『講座日本美術史3 図像の意味』東京大学出版会、2005年6月、301−330頁を参照。⒅画面中の建築物については、嘉義市中央噴水池傍の日向屋であるとする説と、嘉義公会堂であるとする説がある。筆者は当時の写真からこの建物を嘉義公会堂に特定する。『嘉義写真 第四

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