鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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■ 「辨天池(台陽展)陳澄波画」『台湾日日新報』1938年5月11日。また、李淑珠氏の前掲博士論文、■ 「燦雨」図版解説を参照。『熱帯花鳥へのあこがれ−石崎光瑤の作品と出会って』展図録、松伯■ 陳澄波が収集した図版コレクションは現在嘉義市文化局に所蔵される。その整理と紹介は李淑■ 昭和時代の「近代の超克」問題については、子安宣邦『近代の超克』青土社、2008年を参照。― 166 ―■ 公園の池にある辨天堂は1913年5月に落成されたが、陳澄波が描いたのは1928年に改築されたものである。「辨天堂落成式」『台湾日日新報』1913年5月16日。「嘉義公園の辨天堂改修成る」『台湾日日新報』1928年12月13日。■ 「台展アトリヱ巡り(三) ―色とりどりに、異国情緒漂ふ 花鳥画=郷原藤一郎氏」『台湾日日■ 『歳月―嘉義写真』嘉義市文化局、1991年、83頁。■ 以下に挙げる、嘉義市文化局所蔵の陳澄波新聞記事切抜を参照。「アトリヱ巡り(十)裸婦を描く」『台湾新民報』1933年、「アトリヱ巡り タッチの中に線を秘めて描く 帝展を目指す芸術的に表現する 陳澄波」『台湾新民報』1934年、「アトリヱ巡り(十三)阿里山の神秘を芸術的に表現する」『台湾新民報』1935年。■ 日本画壇における南画再評価に関する考察は千葉慶「日本美術思想の帝国主義化―1910〜20年代の南画再評価をめぐる一考察」『美学』第54巻1号(213号)、2003年6月、56−68頁を参照。また、日本画壇の日本主義については永井隆則『セザンヌ受容の研究』中央公論美術出版、2007年2月、245−294頁を参照。■ 中国明時代の水景花鳥図については、東京大学大学院博士課程⿈立芸氏の御教示による。■ 台陽美術協会の文化的啓蒙運動については、陳澄波「日拠時代台湾藝術之回顧」『雄獅美術』143頁をも参照。106期、1979年12月、69−72頁を参照。訳文は李淑珠氏前掲博士論文、付録6を参照。輯』嘉義市文化局、2006年、6頁。⒆陳澄波は1933年から、嘉義を主題とする作品を多数製作していた。例えば、1933年「嘉義中央噴水池」、1934年「嘉義街中心」等、嘉義市の中心部を描く作品と、公園、郊外、個人の庭園を描く作品が挙げられる。1947年、二二八事件で新政権に殺害される直前の遺作「玉山積雪」は自宅の前に見る「玉山」、いわゆる新高山を描くものである。⒇この作品は、戦後、「嘉義公園」の題名で呼ばれている。嘉義公園の辨天堂が現存せず、画面中の神社建築もはっきり描かれていないため、この作品と辨天堂の関連には現在あまり注意が払われていない。しかし本文では当時の文脈を重視して原題である「辨天池」を使用する。美術館、2007年、79頁。新報』1927年9月8日。珠氏の前掲博士論文を参照。

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