― 173 ―は、有職文様の形成について奈良時代に伝来した唐代の美術工芸ばかりでなく、平安後期の併行期にあたる宋代や遼代の美術工芸にも直接的な原型を求めうることを示唆する。【鳥襷文】鳥襷文の図様は七宝繋の構成要素である円形の中央に唐花文を置き、その斜四方の紡錘形の部分に尾で繋がった二羽の尾長鳥を追鳥型式で表わすのを基本とする〔図11〕。従来、鳥襷文の原型としては正倉院宝物「花鳥文緑地錦」が示されてきたが(注8)、筆者はより相応しい原型として中国・夢蝶軒が所蔵する遼代裂「飛鳥文茶地錦」を考えている〔図12〕。同裂には七宝繋の構成を輪郭線とし、その円形の中央に唐草で囲まれた唐花を置き、その斜め四方の紡錘形の部分に二羽の追鳥文様を置く図様が表わされており、ここに鳥襷文の基本的な図様がほとんど出来ている様子が認められる。【窠中鴛鴦文】窠中鴛鴦文は皇太子の御袍の袍文として規定される。その図様は六花形窠文の内側に冠羽と頚羽を生やした鴛鴦が下方を向いて両翼を広げる図様である〔図13〕。窠中鴛鴦文については『胡曹抄』に久寿2年(1155)の東宮行啓に際して皇太子が着用した赤色闕腋御袍に関する「六ツ花形ノ丸中、有唐鳥」という注記や、『装束唯心抄』「東宮御束帯」に「窠の内に鴛鴦有」と記述されているのが典拠となる。しかしながら、この袍文の歴史はさらに遡りうると考えられる。かつて筆者は米国クリーブランド美術館が所蔵するチベット伝来の子供服について日本の朝廷において朝廷公事に際して着用された朝服の様式の原型として考えた(注9)。そのソグド錦の上衣には連珠円のなかの唐草台に綬帯を銜えた二羽の鴨が対面する図様が表わされており、唐代の宮廷工芸を図案した竇師綸の名前を想起させる意匠が認められる。綬帯を銜えた水鳥文はキジル出土の壁画断片に連珠円文内に綬帯を銜えた鴨文が見出されたり、アフラシャブ出土の壁画断片には人物衣服に同文様が描写されているなどシルクロード地域に分布しており、これらはソグド人が信仰したゾ鳥崇拝の影響ともされている(注10)。このような水鳥文様は日本ロアスター教の水にも伝来しており、正倉院宝物「大灌頂幡」垂脚飾には唐草円文のなかに二羽の鴛鴦が綬帯を銜えて対面する図様が錦織によって表わされている〔図14〕。窠中鴛鴦文の鴛鴦の図様は『胡曹抄』に「唐鳥」と記述されるように一見して鴛鴦とは判断し難いが、もとは「大灌頂幡」垂脚飾に表わされるような現実的な鴛鴦文であったとすれば、その名称の由来や鴛鴦を要素とする袍文を用いる事情も理解されてくる。はたし■■■■■
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