3.適用以上、有職文様の基本的図様が転化や伝播によって形成されたり展開した事例を挙げた。はたして宮廷のような階級社会においては、工芸意匠の適用にあたって社会的規制が図様の形成や展開に関与する場合もある。これは有職文様の様式展開について、美術史的現象としてばかりではなく、社会的現象として理解すべき余地があることを示唆する。【桐竹鳳凰麒麟文】― 174 ―てそのような水鳥風鴛鴦文様が朝服に表わされていたとしても、記録によると12世紀には唐鳥風鴛鴦文様に展開していたと考えられるが、これについても宋代美術に取材したことが推察される。すなわち浙江省瑞安の慧光塔から発掘された宋・慶暦2年(1042)銘がある納入箱の内箱であった花鳥描金経箱の側面には、六花形窠文のなかに唐花地に鴛鴦の図様が表わされており、鴛鴦は上向きや下向きに飛翔する姿に表わされ、後者は左右に翼を広げる姿態や冠羽と頚羽を明確に表現する点に窠中鴛鴦文との共通点が認められる〔図15〕(注11)。このような鴛鴦文の図様はMOA美術館が所蔵する「青磁合子」の蓋部にも見出され、当時の定型図様であったものと推察される。桐竹鳳凰麒麟文は天皇の御袍の袍文として規定される。その図様は時代によって変遷するが、近世以降には長方形構図のなかに桐と竹が生えた洲浜を左右に配し、上方に二羽の鳳凰が飛翔し、下方に二頭の麒麟が洲浜に鎮座する様子を左右対称に纏めるのを基本とする〔図16〕。これら桐竹鳳凰麒麟文の要素のうち桐・竹・鳳凰については『韓詩外伝』の「鳳乃止帝東園、集帝梧桐、食帝竹実、没身不去」という記事、麒麟についても『春秋左氏伝序』の「麟鳳五霊、王者之嘉瑞也」という記事などを典拠にしたと考えられる。これら桐・竹・鳳凰・麒麟は中国の帝王思想に基づく要素であるが、併行期の宋では皇帝が龍文を独占する動向を示しており、また天皇特有の文様の必要性も日本の宮廷事情に発したこと、鳳凰が棲息する桐について中国古典では梧桐としながら桐竹鳳凰文では日本固有に自生していた白桐の図様となっていることなどを勘案すると、天皇の桐竹鳳凰文は日本で工夫された文様であろうと考えられる。ここに有職文様を適用するうえでの図様の形成という現象が認められる。【雲鶴文】親王や太閤の袍文である雲鶴文は、少なくとも保延5年(1139)の雅仁親王の御元服の頃には用いられていた。また、摂家では元服すると丁子唐草文の袍文を用い、摂
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