鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 195 ―れば、17世紀後半まで待たねばならない。17世紀の早い時期に刊行された『変身物語』のひとつ、ニコラ・ルヌアール訳のランジェリエ版(パリ、1619)の場合、エーリゴネについて言及される巻6の冒頭に添えられたイザーク・ブリオによる挿絵には(注17)、ミネルウァがアラクネを蜘蛛に変える場面が描かれている。その後、世紀半ばに刊行されたゲイ版(リヨン、1650)、クールベ版(パリ、1651)は、ルヌアール訳に基づく『変身物語』であり、後者にはランジェリエ版の挿絵と同じブリオの挿絵が利用されている(注18)。エーリゴネの挿絵は、宮廷詩人で劇作家としても知られるイザック・ド・バンスラード作『ロンド形式によるオウィディウスの変身物語』(1676)〔図4〕に初めて見出される(注19)。そのテクストの特徴は「バッコスがブドウに姿を変えてエーリゴネを欺く」というオウィディウスの手短な語りを脚色し、2人の愛の結末やエーリゴネの性格描写をしている点にある。誇り高いニンフのエーリゴネに恋したバッコスは、ブドウに変身して彼女を欺き征服する(注20)。テクストに添えられたフランソワ・ショーボによる挿絵〔図4〕には、愛神が手にした見事なブドウが、エーリゴネの掲げる杯に酒となって注がれる情景が描かれている。挿絵には、テクストに登場しない2人のサテュロスが認められるが、彼らはバッコスの存在と好色な意図を暗示するための補助的モティーフとして描き加えられたのだろう。バンスラードの『ロンド』は、1661年から親政を開始したルイ14世の命をうけて執筆・出版された作品だった。当時の文人・芸術家たちの最大の関心事が栄光に輝く王の表象を生み出すことであったからには(注21)、『ロンド』におけるオウィディウス神話のパラフレーズ全般にも、そのような基本的意図を読み取ることができる。したがって、新しいタイプのエーリゴネ図像の登場は、ルイ14世を称揚するイメージ体系の創出という文脈の内部に位置づけられるわけである。たとえば、「エーリゴネの愛を勝ち取るバッコス」という『ロンド』の発想は、バンスラードやキノーによる牧歌劇『アモルとバッコスの祭典』のシナリオを連想させる(注22)。この芝居はフラッシュ=コンテ地方の獲得を慶賀する目的で、1674年にヴェルサイユで催された祝祭で上演された。芝居の最終場面では、愛神とバッコスのどちらが偉大かについて論じられ、両者ともに素晴らしい神であると結論付けられて幕が閉じる。女性を征服するエピソードによって暗喩的に領土の獲得を意味するレトリックは古くから知られており(注23)、『ロンド』の挿絵においてブドウによって暗示されるバッコスにも、「偉大なる国王」のイメージが重ね合わされていると考えられる。『ロンド』の刊行後まもなく出版された劇作家トマ・コルネイユによる『変身物語』

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