― 197 ―ーを観察することからはじめたい。タピスリー〔図1−a〕のエーリゴネは音楽を奏で、歓談をするバッコスの従者たちに取り囲まれており、その画面構成は17−18世紀の版本挿絵や絵画作品にみられるエーリゴネ図像とは大きく異なっている。ブーシェの連作が構想されていたのと同じころ、シャルル=ジョセフ・ナトワールがこのような多数の人物に取り囲まれた人物配置を試みていたことに留意したい。ナトワールの《バッコスの勝利》〔図9〕には、中央に描かれたブドウを眺めるエーリゴネの周りを囲むように、バッカントやサテュロスが配されている(注29)。確かに多数の人物像によって構成されるブーシェのエーリゴネ図像は、ナトワールのそれに近い。ナトワールの作品はブーシェも参加した1747年の王立絵画彫刻アカデミー主催のコンクールに出展されたことから、ブーシェがこの作品を参照した可能性は高い。とはいえ、ナトワールは画面奥にも凱旋車に乗るバッコスを描いており、ひとつの場面にこの神の複数のイメージを組み合わせて描いている点において、ブーシェの作品と画面構想の上ではっきりとした相違がある。さらに、ブーシェのタピスリーには、ナトワールの作品をはじめ、すでにみたエーリゴネ図像には現れない「演劇の仮面」〔図1−c〕が描かれていることに注目したい。この仮面は、本作品の着想が演劇と関連していることを暗示する示唆的なモティーフであると考えられないだろうか。17−18世紀にはエーリゴネの登場するいくつかの演劇作品が作られている〔表1〕(注30)。これまでの研究で指摘されていない事実だが、ここでタピスリーと関連して特に注目したいのは、ブーシェの作品が構想されていた時期にあたる1747年3月13日、ヴェルサイユにおいてルイ15世の臨席のもとで上演された『エーリゴネ』〔図10〕である(注31)。このバレエは、国王の愛妾ポンパドゥール夫人が主催する小部屋劇団(テアトル・ド・プチ・キャビネ)によって演じられ、夫人自らがエーリゴネ役として出演した。その筋書きは、バッコスに恋したエーリゴネが、愛神の力をかりて、彼女に無関心であったバッコスの愛を勝ち得るというものである。つまり、オウィディウス以来知られていた「狡猾な手段でエーリゴネを籠絡するバッコス」という神話の内容が完全に逆転し、「高貴な神バッコスに恋したエーリゴネが、アモルの力を借りて愛を成就する」という筋へと読み替えられているわけである。また、アポロドーロスが語るイカリオスの殺害やエーリゴネの自殺といった、不吉なエピソードはすべて排除され、バレエはふたりの幸福な結びつきによって閉じられる。このような根本的な筋の改変が、いまや国王の愛妾となったポンパドゥール夫人によって演じられる舞台のために、当然必要なものであったことは想像にかたくない。
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