― 198 ―バレエの冒頭は、エーリゴネが愛神に懇願する次の台詞からはじまる。「私の愛する英雄を勝ち得るために、私の目に愛の炎をください[…]。バッコス、私たちの豊かな土地の誇り高きこの勝利者が、私の最も激しい情熱を掻き立てる。」(注32)。英雄バッコスという発想は、ルイ14世時代の『ロンド』にみられるイメージを継承するものである。すなわち、バレエの台本には、エーリゴネになぞらえたポンパドゥール夫人が、愛神の力を借りてバッコスに象徴される国王の愛を勝ち取る、というメッセージが巧妙に織り込まれているのである。ここで台本とタピスリーを比較してみると、タピスリーの舞台設定はバレエのそれと同じ田園であり、バレエに登場するバッカントやシルウァーヌス、ニンフは、ブーシェのエーリゴネの周囲を取り囲む多数の人物像と関連付けることができる。とはいえ、台本にはバッコスがブドウに扮してエーリゴネを誘惑する場面はない。しかし、ブーシェはこのバレエの筋書きに一致するようなエーリゴネの描写を試みているようである。エーリゴネは従者が差し出す果実が盛られた籠のなかから、ひと房のブドウを取りあげており、その描写はバレエに登場するバッコスの愛を勝ち取るエーリゴネを想起させる。一方、バッコスの存在はエーリゴネが手にするブドウによって示されていると同時に、前述の仮面のモティーフにも暗示されている。この仮面の頭部は、バッコスのアトリビュートそのままに、冠のようにブドウの実で飾られており、前景に配されたバッカントの視線をうけて画面のなかで存在感を放っている。さらに、仮面のまなざしは、エーリゴネに向けられているようにもみえる。また、豊かな果実が差し出されるという設定は、バレエの幸せな結末―国王の愛が与えられる―を暗示しているように思われる。同時に、従者が差し出す籠にあふれるように盛られたブドウや果実は、バッコスによって大地にもたらされる豊かな実りを意味し、それは国王ルイ15世によってもたらされるフランスの豊穣(台本冒頭の台詞にある「私たちの豊かな土地」)を象徴するイメージと解することができる。ポンパドゥール夫人は1745年に国王の公式な愛妾となり、その後、国王の最愛の人として権力を強めていった。ブーシェも1750年に夫人からの最初の公式な注文を受けて以降、この強力なパトロンのために数々の作品を制作することになる(注33)。このような背景を考慮するならば、《バッコスとエーリゴネ》が「国王とポンパドゥール夫人の愛」を祝福する意をこめて構想された可能性はきわめて高い。事実、バレエ『エーリゴネ』の台本は国王の命をうけて特別に出版されており、そのような時期を見計らったように制作された同主題のタピスリーが、同じ文脈において受け取られなかったはずはなかろう。連作〈神々の愛〉のなかで、《バッコスとエーリゴネ》とと
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