鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
209/597

注⑴J. Badin, La manufacture de tapisseries de Beauvais, depuis ses origines jusqu’à nos jours, Paris, 1909.⑵E. A. Standen, « The Amours des Dieux: A Series of Beauvais Tapestries After Boucher », MetropolitanMuseum Journal, vol. 19−20, 1984−85, pp. 63−84; C. Bremer-David, French Tapestries & Textiles in theJ.Paul Getty Museum, Los Angeles, 1997, pp. 120−127, no. 12.4 結語連作〈神々の愛〉が制作される1740年代後半、ブーシェは他のさまざまな有力画家たちと激しく競い合っていた。彼らの多くは、ブーシェのボーヴェ製作所における活動期間とほぼ同時期に、ゴブラン製作所のために王室向けのタピスリーの下絵を提供していた。なかでもナトワールやヴァンローは、スービーズ館の装飾以来のブーシェのライバルであり(注35)、1747年のコンクールでも互いにしのぎを削る間柄であった。彼らがブーシェとほぼ同じ時期に「エーリゴネ」の主題を取りあげているのは、決して偶然ではなかろう(注36)。このような競合関係を考慮するならば、ブーシェにとってボーヴェ製作所のための〈神々の愛〉の下絵制作は、最大のパトロンとなるポンパドゥール夫人と国王に対して、ライバルに比肩する力量を示すための絶好の機会であったと考えられよう。連作〈神々の愛〉は、宮廷画家ブーシェが同時代のライバルたちを凌駕し、最終的に首席画家にいたる輝かしいキャリアを構築していく上で、鍵となった仕事として位置付けることができるのではないだろうか。⑷N. Forti Grazzini, Il patrimonio artistico del Quirinale. Gli Arazzi, vol.2, Milan et Rome, 1994, pp.Badin, op. cit., pp. 61−62を参照。Pushkin State Museum of Fine Arts, no. 217.520−522, no. 175.― 199 ―もに早い時期に織られた《アポロンとクリュティエ》もまた、国王と夫人の愛を暗示させる作品であった(注34)。⑶本研究の成果の一部は次の拙稿を参照されたい。小林亜起子「フランソワ・ブーシェのタピスリー《アポロンとクリュティエ》―着想源と制作意図に関する考察―」『美術史』美術史學會、169冊、2010年(採択済み、2010年刊行予定)。⑸フランス国有動産管理局に所蔵されるボーヴェ製作所の記録簿(M.N., B−166, B−167)及び⑹《バッコスとエーリゴネ》は計10点制作され、国王は3点を1754、64、71年に購入した。⑺オウィディウス『変身物語』中村善也訳、岩波文庫、1981年、第1巻、226頁参照。⑻Cat. 1995−96 Moscow: Five Centuries of European Drawings: the Former Collection of Franz Koenigs,⑼オウィディウスの『変身物語』にも、星となったエーリゴネについて手短に言及されている。Ovide, op. cit, 10. 251; Erastothenes, Erigone; Apollodorus, Bibliothteca 3.14.7; Hygin, Fables 130;Hygin, Poetica astronomica, 2.4; Nonus, Dionysiasca, 47. 34.

元のページ  ../index.html#209

このブックを見る