鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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1 .ヘーラルト・デ・ラレッセの風俗画論:「ギリシャのヴィーナスのごとく美しく優雅な」女性像18世紀初頭の風俗画に描かれる題材と人物像に関する同時代の記述は、オランダ古典主義の画家・理論家であるヘーラルト・デ・ラレッセの著作『大絵画本』(1707)に見出される。デ・ラレッセはその風俗画論において、古代ギリシャの美術を規範とした最も崇高な絵画ジャンルである物語画を「古代(antiek)」、風俗画を「当世風(modern)」とそれぞれ定義した。目に見える現実世界を範とする風俗画は、現在という常に変化する時間と状況に縛られて歴史や普遍の概念を表すことができないため、下等なジャンルに位置づけられる(注2)。だがデ・ラレッセはそれを認めたうえで、物語画に属する特質の一部を風俗画に与えることで風俗画の価値を高める可能性を見出し、風俗画をどのように描くべきかを詳述する(注3)。まずその題材に関しては、従来、デ・ラレッセは、居酒屋や娼婦宿などでの粗野な行為を表した絵画を酷評したために、上流階級を描く風俗画だけを推奨したと考えられがちであった(注4)。しかし議論を詳細に検討してみると、そうではなく、一般市民が経験する日常的な出来事や情景が題材として肯定されていることが明らかになる。デ・ラレッセはその論拠として、市民階級の日常は画家にとって観察しやすいだけでなく、こうした卑近な題材も適切に描くためには、高貴な題材と同様に「画家の技量が不可欠」であり、「深刻な主題よりも茶番劇、宮廷人よりも田舎者」を描くことが、「芸術性に劣る― 11 ―と、描かれた情景は多様であるにも関わらず、女性の人物表現に共通の特質が認められ、それが優雅と洗練という印象を作品に与えていることが明らかになる。描かれた女性は、属する階級のいかんに問わず、一様にしなやかなしぐさと気品のあるポーズを示し、表情は穏やかで柔和、その肌は大理石のように滑らかに表現される。彼女たちの手と指に着目するならば、皺や汚れのないその肌は透き通るかのように白く、柔らかく描かれ、のみならず物に触れるその指先は流れるような繊細な動きを見せる。そこには明らかに、理想的な美と形についての共通した意識が見て取れる。つまり、風俗画に優雅と洗練の印象を与えているのは、女性像に共通する一定の理想化の傾向のように見えるのである。では、18世紀初頭の風俗画においてこの特殊な組み合わせ―日常生活の情景という題材と女性像に見られる一種の理想化―はいかにして成立したのだろうか。以下この問いを、当時の絵画理論における風俗画観、画家の実践、コレクターの画家への要求の三点から検討してゆく。

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