鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 12 ―とは言えない」と断言するのである(注5)。ただし、日常生活に題材を求めることを肯定するものの、デ・ラレッセは彼の古典主義理論において最も本質的な絵画の特質、すなわち自然の修正と改良により到達する理想の美という性質を風俗画に適用するよう、以下のように強く訴える。 「当世風絵画は、自然を単に模倣している限りにおいて、自然の不完全な模倣、または欠陥のある猿真似にすぎず、芸術に列することはできない。しかし自然が賢明で高尚なる画家により欠陥を取り除かれ、改良されたうえで、芸術が自然に結びつき、それを凌ぎ、さらに上述した特質が加えられるならば、その絵画は高貴で完全なものとなるだろう。」(注6)さて、ここで問題になるのは、画家が平凡な日常生活を題材として描きながら、一体どのようにして「欠陥を取り除かれ、改良された」自然を表現できるのかという点である。その答えのひとつは、風俗画における人物像の描き方に見出される。デ・ラレッセによれば、身近な人をモデルにするのは、その醜さを見過ごす危険を伴うので回避すべきであり、そのかわり、古代彫刻の石膏像や関連書を用いて、完璧な人体のプロポーションと真なる「優美さ(bevalligheid)」を学ぶべきだという(注7)。古代彫刻に表された形とプロポーションこそが美の規範であり、そこから生じる「優美さ」は、「当世風の描写において必ず知覚されなくてはならない」のであり、風俗画に描かれる女性も「ギリシャのヴィーナスのごとく美しく優雅」でなくてはならない(注8)。さらに、身体の理想的な形とプロポーションこそが、風俗画を物語画のように「高貴で完全な」芸術に近づけるための重要な要素であることを以下のように述べる。 「肌が露になった身体部分に関して言えば、男、女、子供いずれの場合でも、最も美しい形で、正確なプロポーションと身体分節の描写で表されない限り、当世風の絵画は芸術の名に値しない。それももっともであり、というのも、これこそが似かよらない二人の姉妹(=当世風/風俗画と古代/物語画)をひとつにする唯一の方法だからである。」(注9)このようにデ・ラレッセの風俗画論においては、風俗画を描く画家は、自身をとりまく現実世界に題材を求める一方、人物像には古代彫刻に体現された理想の形とプロポーションを与えなくてはならないと主張されたのである。これは18世紀初頭の風俗画に見られる特徴―日常的な情景と理想化された女性像―といみじくも一致する。もちろんデ・ラレッセの風俗画論を画家が風俗画を描く際の実践的な手引き書と見なすことはできないが、それでも彼らに向けられた具体的な助言は、古典主義が優勢な潮流となる18世紀初頭において画家がどのように日常の描写を改変しなくてはな

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