鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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が16世紀から生じていたことを確認している。― 210 ―〈最後の審判〉が語る2度の「神の裁き」に現れ、魂を計量する天秤を握っている。ここに隣り合って【関所】が描かれ、また【関所】を抜けた先に天国の入り口があることから、これら18世紀マラムレシュの作例において、【関所】は〈最後の審判〉を構成するモチーフと化しているといえる。ここは従来、神の裁きを待つ死者の内でも善人とみなされる人々がエティマシアを向いて並び、また善人であると神から判断された(とみなされる)人々が天国に向かって立ち並ぶ様子が描かれる場所であった。カリネシュティ・カイエニでは【関所】を通過する前の人々と、最終【関所】の先に群れなす人々とがニンブスのあるなしで区別され、【関所】の通過はまさに天国への関門である。今こうしている間にも誰かの死去にともなって生じている私審判がモチーフとして組み込まれることで、18世紀マラムレシュの〈最後の審判〉はいつか未来の出来事である公審判と、今現在の出来事である私審判をも同時に伝える絵画となり、〈最後の審判〉という主題の表現する時空が拡大していることがわかる。本研究に到るまでに報告者は、公審判たる〈最後の審判〉が私審判を内包する現象またイコン〈最後の審判〉では16世紀以降、【関所】がエティマシアから地獄の炎まで蛇行しながら連なる管状の物体として描かれることがある(注17)。上述のブデシュティ教会に安置されるイコンに現れる【関所】の描かれ方は、16世紀モルドヴァの壁画に現れる【関所】に近い。これらの作例から、既に私審判が〈最後の審判〉を構成するモチーフとなり〈最後の審判〉の表現する時空を広げていたことが認められる。今回調査した18世紀の作例では、【関所】が〈最後の審判〉における構成モチーフである「裁きを待つ人およびその先に広がる天国」と融合しており、〈最後の審判〉上で展開される公審判と私審判の結びつきがさらに強まっている。〈最後の審判〉は今起きている「神の裁き」を16世紀にモルドヴァ地方の教会堂外壁に描かれた〈最後の審判〉では【関所】とは異なるが、同様に私審判を表現する「義人の死」が描かれる(注16)。【関所】は〈最後の審判〉とは少し距離を置いたところに独立した主題として描かれている。死者を挟み相対する天使と悪魔がいる部屋が、ビル建築のように垂直に積み重なって描かれる〔図12〕。別個の主題として描かれてはいるものの、【関所】は〈最後の審判〉が描かれない教会堂に出現することはない。報告者が現時点で知る限り、公審判だけが描かれる教会堂はあっても私審判だけが出現する教会堂はない。

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