鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 223 ―〔図版出典〕図5 『文晁遺墨展覧会図録并ニ評伝』、七清会、1932年図6 『楊谷と元旦 ―因幡画壇の奇才―』、鳥取県立博物館、2010年謝辞:仙台市博物館の内山淳一氏には貴重な御意見や御教示を賜りました。ここに記して、深く御礼申し上げます。⑻『江戸画壇の巨匠 谷文晁とその周辺の画家たち』(鳥取県立博物館、1991年)、大塚和義「稿本の成立事情とその書誌的検討」・福井淳人「谷元旦―その伝記的記述と画業―」(『蝦夷風俗図式・蝦夷器具図式』複製、安達美術、1991年)等⑼前掲注⑻大塚氏論考⑽小林めぐみ「『集古十種』の編纂―その目的と情報収集」(『あるく・うつす・あつめる 松平定信の古文化財調査 集古十種』福島県立博物館、2000年)⑾『寺社宝物展観目録』(国立公文書館内閣文庫蔵)⑿『過眼録』(『集古会志』辛亥巻2より『集古』(同上改題)甲子1号まで、1912〜1934年)⒀個人蔵。安達美術より1991年に複製が出版されている。木村蒹葭堂旧蔵の東京都立中央図書館本をはじめ、いくつかの写本が存在する。⒁その他、応挙没後、元旦の二十代以降の作に、応挙作品を元図としたものや、付立など円山四条派の画法を用いた作品がいくつか制作されている。また、かなり後ではあるが、文政12年(1829)に鳥取へ帰国途中に、京の「四条柳馬場圓山主水」が「間柄ニ付」二三日滞留したいことを藩に願い出て許されており 、元旦の京の知人として円山家の名が挙がっており(鳥取藩政資料『江戸家老日記写』、鳥取県立博物館蔵)、元旦と円山家とのつながりが看取される。

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