鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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1.アンダーソンの日本美術参考文献、及びその現存状況本研究では、アンダーソンが著書『大英博物館所蔵日本中国絵画目録』Descriptiveand Historical Catalogue of a Collection of Japanese and Chinese Paintings in the British Museum, London: Longmans & Co., 1886であげた4項目89件(和漢籍68件、洋書21件)の「参考文献 BIBLIOGRAPHY」に着目したい。本書は自身が売却した絵画コレクションに即し、各流派の歴史・画家・画題等とともに詳細な作品解説を附したもので、同年出版の『日本の絵画芸術』と補完関係にある。ここに記された和漢籍、すなわち後で詳しく見るように江戸時代の画譜・絵手本・画史等は、〈日本美術史〉編纂にあたってアンダーソン自身が当時直接参照し重要と認識していた具体的資料といえよう(注3)。― 226 ―㉑ 19世紀末における〈日本美術史〉資料収集のネットワーク―ウィリアム・アンダーソン旧蔵和漢籍を中心に―研 究 者:元島根県立美術館 学芸員  村 角 紀 子はじめにウィリアム・アンダーソン(William Edwin Anderson, 1842−1900)は、日本美術史研究の先駆的存在として知られたイギリス人医師である。1879年の日本アジア協会における講演「日本美術の歴史」A History of Japanese Artを嚆矢として、1886年の大著『日本の絵画芸術』The Pictorial Arts of Japan, London: S. Low, Marston, Searle &Rivington等がよく知られており、大英博物館に売却された膨大な日本中国絵画コレクションについても詳細な調査が進んでいる(注1)。しかし、彼の日本美術史研究の具体的資料やその収集過程についてはいまだ不明の部分が多い。日本人による大系的通史のなかった19世紀末において、〈日本美術史〉の情報はどのように収集され、活用されたのか。先行研究では、彼が著書謝辞に名をあげたアーネスト・サトウ(1843−1929)等の協力が指摘される他は、美術に見識のある日本人協力者/情報提供者の存在が推測されるに留まっている(注2)。アンダーソンの膨大な和漢籍コレクションは、絵画と並んで同時代のジャポニザンの間で広く知られていた(注4)。その蔵書は帰国後大英博物館が4回に分けて購入し、1882年7月27日に311冊を360ポンド、1894年2月13日に1280冊を250ポンド、同年3月21日に300冊を50ポンド、そして没後1900年12月に遺言執行人から20ポンド(冊数不明)で購入した記録がある(注5)。すなわち計1890冊以上と目されるが、

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